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この寒さを何に例えようか、財布か

2018/02/23 02:30
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万年氷河期の輪が財布と比べられてもかわいそうななのだが、なんでこんなに寒さが続くのか。昨日の最低気温はー12.2度だった。現時点の気温が-8.6度なので同じくらいの最低気温になりそうだ。今月中はこの調子で寒いのが続きそうだ。週間予報では、なんとか3月になると春めいて来るようだが、もうそんなことも信じられないくらいに寒い。


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寒いから心温まる話を。いやどうかな。中国の農村では葬式は賑やかな方が良いという。故人を偲んで人が集まれば、余興や楽しみを提供しなければいけない。食事はもちろんだが、漫才師を呼んだりストリッパーを呼ぶことがある。家の財力を誇示する意味合いもあるが、葬式の参列者を多く集めて、楽しんで帰っていただくのが親孝行で供養になるのだと言う。

ストリッパー?農村では娯楽が少ないからねぇ、とはいえ当局は当然睨んでいるが全く上手く行かない。何しろ彼らが、「みんなが幸せであればそれで良いよ!」と行った具合なので、どうしようもない。密告とかを奨励していても、あの中国でも撲滅できないのだという。結局当局の情報統制が真面目過ぎて、こんな不真面目なのは葬式ぐらいしかで見られないと言うことなのだろう。

ただね、もしかすると厳粛な葬式は日本だけかもしれないよ。こう行った葬式のビデオを見たが、LEDでガンガンに飾られた祭壇に、棺にまとわり付くように踊るダンサーは、これはこれでいいのかなと、考えさせられた。文化人類学でも、葬式というのはだいたい賑やかなものだと言う。

だいたい天国や極楽の世界と言うのは、男が考えた物としか思えない物しかない。その意味では故人が男性だったらこれでもいいが、女性だった場合にはイケメンマッチョが半裸で棺を担いで葬列に並ぶとかもいいかもしれない。

ン!それだったらバレエがいいかもしれんな。妖精のような女の子とイケメンマッチョの組み合わせだったら、当局も芸術性を認めざるを得ないのではないのかな?


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どのような形式の葬式であっても、それは残された人の為にある。世の中目くじら立てるが、これで良いのではないのかと、思う次第だ。
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意外な

2018/02/22 02:33
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エダマメのポタージュを作ってみた。やっぱり加熱すると色が悪くなる。結構頑張ったのになぁ。味は悪く無いのだが。こうなったら緑平豆でやってみようか。

なお豆のポタージュでも腹は壊さなかった。


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シリア情勢だが、アサド政権が頑張っているのは良いんだけどますます人が死ぬな。それはさておき、クルド人との間に変なことが起きている。シリアのクルド人民兵組織「人民防衛隊」(YPG)だが、トルコの分離独立派のクルド労働者党(PKK)とつながりがある、そうトルコは考えている。さてシリア内戦からシリア北部はYPGと彼等に支援を受けたクルド人勢力「民主連合党」(PYD)が支配している。その上にISの掃討作戦で多大な功績がある。だがここに来て独立運動は停滞して変な具合になっている。

まず第一にIS掃討作戦ではアメリカに協力してきたのに、アメリカはシリアを解決する気はなさそうだという観測が有り、独立しても認めない可能性が出てきた。そしてトルコがテロ組織と認定しているPKKと繋がりのあるYPGを掃討しようとシリア北部アフリンに侵攻した。

そこで物凄い妥協が産まれた。クルド人組織とシリアのアサド政権がトルコ軍撃破で協力するとなったという。
歴史的にクルド人はどこからも弾圧されて来た。今回の内戦でも、アメリカの支援があったとは言え敵はISだけではなかった。シリア人が全部敵の状態だった。確かに分離独立は投票で否決された。結果迷走した彼等はどこにゆくかと思われていたが、ここでこの大妥協が。

真面目にこの地域は誰が強いかだけで決まってしまう。かつての部族社会が未だ嘗て生き残っているので、魑魅魍魎なのだが、その一番が出てしまったように思える。


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日本製の無料ゲームソフト「旅かえる」が中国で流行っている。いや流行っていたと言うべきだろうか。その旅かえるなのだが、カエルをかわいがって大切に育てて、庭先のクローバーを集めてお弁当を作ってあげると、旅に出てしまう。いつ帰ってくるかよく分からないが突然帰ってくるのだ。家で大切にしていると旅先から友達ができたとかメールが来たり、おみやげを持って帰ってくるという。

中国人はそれを子供のことだと思っていた。だが開発者は「それは旦那さんです」と言ってしまったのだ。

あれ?中国人から見たら日本のお父さんって、子供と同じなの?実はこれにショックを受けている。



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今日は泳ぎに行った。実は昨日も行ったのだが休館日だった。そこで今日も行ったわけだ。
昨日は仕方がないので近所の県立美術館に、この前の篠山紀信展の半券、常設展閲覧の券があったと思って行ったら、篠山紀信展開催中でなければ使えないといわれてしまう。そこで時間つぶしもできないんで諦めて歩いて夕顔瀬橋まで歩くことにした。すると割と開けたところの細い道から、軽自動車がいきなりやってきた。歩道前の一時停車なしでね。仕方がないので車の後ろを歩いたらいきなりバックしてきた。轢かれるかと思った。

これまたこの細道に右折して入ろうとした車がいた。中央分離帯を越えて対抗車線に完璧に入って来ている。どうもちょうどのタイミングだったようだ。

田舎道では車さえいないことになっているし、ましてや歩行者はいないことになっている。だから私が怪我をして警察が来て、そこではしおらしくしているのだろうが、「あんな所を歩いている人がいるなんて」と後でいうのだろうな。でもあのおばさんが一時停止を正しくしていたら、あの2台の軽自動車に挟まれていた可能性があるのかな。

田舎道と書いたけど、太田橋からの幹線だぜ。
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あまりにも寒い

2018/02/20 23:17
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寒すぎてあさりとセリの煮びたしを作ってしまった。
春が来て欲しい。


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マンサクが咲きはじめていた。


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カルガモが歩いていた。



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この前のアメリカの銃乱射事件で、当事者の子供達が銃規制運動を起こしているのは頼もしい。

だが、なにを守る為に銃が必要なのかと言う事になると、とんでもなく概念的な答えしかないあの世界は何なのだろうか。

子供たちにリアルを教えすぎると言うのはどうなのだろうか。


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シリア北部のクルド人の反勢力政府が、トルコに対してアサド政権と協力態勢を結んだという。

本当に、蛇の道だな。


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寒いなぁ
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何でだろうね

2018/02/20 03:15
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アカバナロウバイの花が咲きはじめていた。こんなに寒いのに、お目当の昆虫もいないだろうに、何で咲くのだろうね。極端に日照時間に依存した開花サイクルなのかなぁ。

そしてまた南岸低気圧が近づいている。今度は連続のダブル技になる。おかげで週間天気予報は、また大寒波を予想している。もうどうしてこうなるのよ。偏西風が蛇行しているのかどうかは調べていないが嫌になってきた。

平昌冬季五輪のカーリング混合ダブルスで、銅メダルを獲得したロシアのアレクサンドル・クルシェルニツキー選手に、メルドニウムを用いたドーピング疑惑がでている。このメルドニウムは旧東側でしか使われない狭心症の薬で、BBCでは血液の循環を改善する薬だと言う。テニスのマリア・シャラポワが全豪オープンでドーピング違反発覚し、リオオリンピックで出場停止になったやつだ。ウイキから引用しよう。

「一酸化窒素を介した動脈拡張作用の他、カルニチンの生合成を阻害することによって酸素を大量に消費する脂肪酸酸化を抑制し、効率的なグルコール酸化によるエネルギー新生にシフトさせる作用などが知られている。またテストステロンからエストロゲンへの転換を阻害し、体内の男性ホルモン濃度を上昇させる。」

さてどこがドーピングかといえば、テストステロンからエストロゲンへの転換、つまり男性ホルモンから女性ホルモンに変換することを阻害するのだ。よって男性ホルモンの割合が一定に高くなる。シャラポワ選手の場合は男性に近い体にする為に行ったと思われても仕方がない。

だが、寒い中で行なわれるカーリングは確かに抹消血管の縮小が起きるから、動脈拡張効果意味があるだろう。だが唐辛子オイルとかそっちの方が良くないか?それではカルチニンの生合成阻害なのだが、試合が長いのでなぜ脂肪代謝を阻害したほうが有利かは不明。というかガス切れしやすくなる。カーリングでの集中力を阻害する原因にもなる。それでは男性ホルモン濃度を高める為にか?これが一番競技目的に合わないんだ。確かにストーンは重い。筋肉は必要だ。だがそれだったらウエイトトレーニングで十分だろう。男性ホルモンには攻撃性の増加という効果もある。多分これが大きいのだが、冷静な判断力が求められるカーリングには必要なのか?覚醒剤の方がまだ分かりやすいが、こちらはそもそもの禁止薬物なので、その代替品なのか?

カーリングのようなニュースポーツと言われるジャンルは、男女の性差をできるだけなくする様に、いかに協調して勝つかが設計されている。なのでハードパワーとかがいらないようにできているのだが、そこに何でドーピングなのか。シャラポワさんの時に、旧東側では当たり前に使われていたので、その名残ではないのかと言う同情意見があったが、この場合は必要がないから、アメリカ人のアスピリン信仰のようにメルドニウム信仰があるのかなぁ。そしてマイナースポーツだから安心していたのかな。でも分からない。何でメルドニウムなの?

もしかするとパートナーから男らしくないと言われていたのかな。それで服用。マイナー競技なのでバレないかというのは、あったかも知れない。そしてメジャー競技で問題になっても、その感覚がピンと来ないままにオリンピックに来てしまったのかな。でもやっぱり、お守り薬品だったのかなぁ。本当に何で使ったのかが全くわからないドーピングだ。なので今の所疑惑となっている。

個人的に、アマチュアスポーツでの合理的なドーピング、つまりドーピーングが問題にならない大会とかでの使用とかがかなりあるのではないのかと考えている。


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いつまで寒さが続くのやら

2018/02/19 02:26
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今年の寒さは久しぶりで何か感覚がおかしくなって来ている。だが流石に2月の後半だ。もうそろそろ三寒四温となってもよさそうなのだが、五寒二温といった具合で一向に暖かくならない。今現在の気温は-9.8度だ。昨日の予想最低気温を下回るのはすでに確定している。次の日曜までの週間予報では-9度が3つもある。

一体いつになったら春がくるのだろうか。



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ベネゼエラで変な事が起きているようだ。デジタルウォレットが流行っているのだそうだ。例のQRコードの決済方法だ。たしかに便利だし、ベネゼエラの銀行は1日あたりの預金引き出し額を制限しているのでまとまった買い物などできない状態だ。だが一番の理由はインフレが酷いから。銀行預金がどんどん目減りしてゆく前に買物をしたほうがいい。しかし銀行ATMの預金引き出し金額は制限されている。取り付け騒ぎを起こさない処置なのだが、そもそも政府が紙幣を印刷する余裕が無い。産油国なのに石油が減産しているのはOPECとの協調減産ではない。あそこは重質油なのだ。精油する為にはガソリンや石油と混ぜてから出ないと精選できないのだ。その石油を輸入出来ないと、石油を輸出できない国なのだ。どうも輸入と輸出のバランスが崩れ果てたようだ。その状態で、紙幣を印刷する余裕は無い。17年末の紙幣発行は14%増だが同時期のインフレは政府発表で2500%という状態だ。

アプリ開発者だけではない。銀行もこれに参入してマドゥロ大統領もこの状態を支持している。ただベネゼエラの通信環境は良くない。だから需要増大でアプリが機能しないこともあるようだ。

ただね、この話なのだがどう考えても銀行にドルを持っている人でスマホを持っている人でないと、このシステムの恩恵は受けられない訳で、その辺に問題がある。ただこのデジタルウォレットはペルーでも人気になっていると言う。

日本から見れば変な話だが、紙幣発行と言う中央銀行の貨幣統制の最終奥義を捨てても、紙幣発行のコストの方が問題になるのだな。そしてなのだがデノミなどの政策を行う必要がない。

その前に南米のモノカルチャー経済が大資本の先進国にいいようにされた屈辱は分かる。だが左派でありながら自ら進んで農業をほとんど無くしてまで石油モノカルチャーにしたこの政権は何なんだろう。


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昨夜の強い風は、風紋を残していった。
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雪は続くよ

2018/02/18 02:45
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今日はアイーナで仕事です。ですがどう考えても車やバスでゆくと渋滞に引っかかりそうな場所にあります。何しろまだ大雪の影響はたっぷり残って居ます。となると自転車ですか。上田通りはかなりいい状態で県病の通りは歩道にロードヒーティングが入っている。一部ダメだが、夕顔瀬橋もヒーターが入っている。ということは、部分的に我慢すれば快適にアイーナまで辿り着けそうです。で、10分でつきました。

仕事中は近所のコジマ電機の看板が見えないくらいに吹雪いたり、突然晴れたりとめまぐるしいお天気でした。

なおこの写真、雪ってとっても変なんです。粉体であり固体であり液体なんですね。始めにこの丸いガードの上に積もったのがずり落ちるんです。でも結晶の粉末なんでその組成を変えながらゆっくりとずり落ちて、バキッと落ちずに形を変えてズレて行くんですね。最近氷の表面にはつねにごくごく薄い水の膜があると言う研究結果が有ったようですが、そうでなければこんな現象は起きないわけですね。

雪の粘性という謎の現象でした。まだ解明はされていないと思う。ファクターが多すぎてね。


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仕事は無事に終わりましたが、除雪ボランティアが待ち構えています。まあでもお天気がお天気なので、焼け石に水でしょうか。夜中になって風が強くなる地吹雪状態になっています。あしたは天気が安定するようですが、どうなる事やら。

そう言えばアイーナにとっても小さなデジタルワークショップができた。レーザーカッターに、自動刺繍機と小型の3Dプリンターがある。ちょっとしたものは簡単に作れそうだ。流石に3Dプリンターはベクトルデーターをつくらなければいけないが、あとはラスター形式、つまり簡単なイラストとかでも出来るという。3月3日から本格始動だというが、価格が折り合えばぜひ使ってみたいものだ。紙飛行機を作っていたときに、二段上反角のテーパー翼で、翼をほんの少し湾曲させて、その上で翼端の迎角がゼロになるように作りたいなと思っていたのだが、それをカッターと接着剤でやるのは神がかった技で、型押ししてェ〜でして、この型が作れる可能性が出てきました。

おもしろいのにドミノ倒しの治具をレーザーカッターで作った型がいらしたようで、確かに欲しい。そう言ったアイディアをちょっとした努力で作れるというのは、本当におもしろいですね。

と人に話したら、そのちょっとの努力ってどの程度のものだよと言われました。そうだよね、ベクトルとかベクターとか言われてもねぇ。刺繍はお絵かきで何とでもなりますけどね。


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しかしなぁ。ウチの近所はまだマシなのだな。この橋のロードヒーティングは半分壊れているし、車道の除雪は全く出来ていない。


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以前「親征平定朔漠方略」と「平定ジュンガル方略」を紹介した「カラ・ブーラン」という小説?について書いたが、中国の清王朝が彼らに近い金族だった故の、その統治法と攻略のエッセンスがつまっている。そこには漢民族では成し得なかった北方夷狄の攻略法が記されている。だがそれを持ってあの土地が中国の物とは思えない。実際にチベットもウイグルもヤルタ会議で引き裂かれたモンゴルも、高度な自治を求めている。

だがいやな話を聞いた。それはニューズウイークの記事なのだが、もしも本当にウイグル族の10人に一人が強制収容所に入っているとすれば、大問題だろう。中国共産党は教育目的と言っているようだが、信仰を捨てさせようというものなので、まずい方向に行くだろう。

一番の問題は、日本企業に務めているウイグル人が里帰りしたら捕縛されたとか、遊牧民族特有のことなのだが、カザフスタン人なのだがウイグル人の地域出身とか、そう言った外国人まで捕縛していると言う。

わかっていないのだ。わかっているつもりなのかも知れない。だがこの恐れ方はどうなのか。まるで明王朝の政策ではないのか。

なぜこの問題が気になるのかといえば、知り合いのウイグル人がいるからだ。彼は里帰り出来るのだろうか。彼は最近盛岡から離れたはずだが、大丈夫なのだろうか。
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ある意味リゾート

2018/02/16 23:19
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県立美術館に篠山紀信展を見にゆこうと思う。明後日で終了だがいまの今まで行かなかったのは、タイミングだった。特に始まったばかりの頃はクリスマスなんで恋人を見にゆく気にはなれない。お正月から成人式までも小密葬だなと思っていたら、やっていることを忘れてしまった。そうするとバレンタイン周囲も避けなければいけないしとなって、ようやくこの時期になった。


もう空いているだろうと思ったら、結構人が居てびっくりした。



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学生の頃はどちらかと言えば写真をやっている人物は森山大道とかアウトロー路線だった。篠山紀信はその意味でメジャーすぎて、うっかり口に出そうものならバカにされるほどだった。だが実際はみんなお世話になって居たわけで、密かに研究はして居たのだ。大抵はアラーキーを賛美して居たが、コインの裏表といわれるほどの二人だ、結局は篠山も賛美していることになって居た。
だから悪口はいっぱいいえる。だが例えは悪いが、犬好きが自分のイヌを「うちの子バカで」という言葉のように、裏ではやっぱり凄いになる。篠山紀信は構図のパクリが多いのだが、そのパクった元を越えてしまう。常に新しく、常に新鮮で、パクった元もなにも言わ無いくらいに、全く違うものに変えてしまう。そこに意味が無いとかあるとかではなく、当時いた大御所のカメラマンから中堅や新進を常に唸らせ続けなければいけない。

そしてなのだが、篠山紀信工房というべき組織が凄い。常にいかなる時でも完璧なサポートをしているのがはっきり分かる。もしかすると彼等がいればあなたも篠山紀信?かもしれないが、実際の所彼らを動かして、作品を作るための段取りから全部、篠山紀信のプロデュース能力の凄さが見えてくるのだ。

多分かれに影響をあたえたカメラマンはアメリカではf64グループだったろうし、ケルテスやヨーロッパの写真かの影響がみられる。その上で、20世紀絵画の影響も見てとれる。だが当時、特に70年代の初期に集まったアシスタントたちはどんなに尖った人達だったのだろう。其れを思う時、実際のかれのプロヂューサー能力がわかる。

篠山紀信の最大の問題は、マスコミに出過ぎた事だと思う。その上キャッチーな言葉を二つ作った「激写」と「カメラ小僧」だ。実はこの二つがいつ出来たかと、その文脈がわからないのだが、商業的に流布された。本体のコマーシャルからアマチュアまで全方位で大向こうを唸らせるというのを、最先端を突っ走る為には必要だった。そしてメジャーになればなるほど、次の文脈が必要になってしまった。

それが「シノラマ」だ。パノラマ写真ではない。35ミリカメラを何台も並べて同時にシャッターを押してパノラマ写真を作る技法だ。だがパノラマ写真を作る技法は19世紀から幾らでもある。なんでこの方法というのはあった。そして発表されたのは写真雑誌だったりすれば、なにかなにしたいのかほんとうにわからない。それがだ、真面目に言うが今回の写真展はデジタルで生き返ったと思う。その中で一番の収穫はシノラマだ。

歪みのないパノラマという話はして居たが、それ以前に同時にシャッターを押して居ても、同時ではないと言う事の意味があった。そして一台のカメラにだけ自分が乗り移ると言うことではないという証明もあった。つまりあなたのミノルタは、私の使っているものと変わらないということなのだが、まあそれ以上にシャッターは同時に動かないと言う前提のシステムなので、時間差を作ったらどうなるのかという実験まであったのですね。それがまた完成度が高い。

この人は本当に高度経済期の寵児ではある。多分こんな実験とかいっぱいしまくったら、いまでは干されるだろうな。



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学芸員のトークショーが有ったのだが、20分で出てしまった。確かに篠山紀信は語りにくい。それは長生きしすぎたのだ。あの時代があってあの空気とあの新進性があって、篠山紀信はいたのだが、それはたとえば今の小学生に話せるだろうか。そういった制限はある。

だが勝新太郎の写真を偶然といっていいのだろうか。この写真は偶然を必然にしないとできない。そもそもそういった構図で作る事が前提で、完璧に出来上がった舞台で、勝は表現したのだ。それに反応できたのは、アシスタントが十全に準備していたのだ。でなければ日中ストロボシンクロがこんなに完璧には出来ないだろう。そしてストロボはカメラに付いていない。

三島由紀夫の写真もそうなのだが、彼はその前に細江英公と「薔薇刑」を撮影している。その事実を前にすれば、この写真の衝撃性は、この少しあとに割腹自殺した偶然というのは当たらないのだ。

一番腹がたったのはクローズアップの多用だが、すまんがそれはもっと前からあるから。少なくともエイゼンシュタインからあるから。これは意地悪か。だが写真誌初期からある手法だぜ。

彼の前には、なんでもあった。彼の前にも屋外ヌードはあった。彼の前にはシュールレアリズムはあった。彼の前には全部あったのだ。

ただソレを使いこなした奴がいなかったのだ。ソレが分かっていない学芸員はどうなのかと思う。

結局写真は読み方が難しい、その一言につきる。とくに真面目な美術の学芸員にとっては、テキストオンリーの検証では理解しがたいことがあるのだろう。



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近所のプールで2000メーター泳いでみそぎを行う。大雪のあとで、空いていた。
ただわたしの筋肉も、結構な状況になっているのはよく分かった。

充実したメニューでホカホカの体でプールから出たのだが、バスが30分遅れになってしまった。大雪の影響を予想して居たが、それを上回った。もう仕方がないね。道路も一部こんな状況なので、自動車のイライラはまだ続いています。



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時間たっぷり。それがリゾート。
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そして

2018/02/16 03:10
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34センチの大雪で除雪車を出すつもりだ。だが除雪車を出す為に雪かきが必要だとわかるのに時間がかかった。


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朝9時に目が覚めた時にうちの下で「今日は除雪車が来るのかね」という話し声が聞こえた。たぶん私の事ではないだろう。市の除雪車だ。だがうちの下でわざわざ言っているというのは2重の意味だろう。

早朝や深夜にだしたら苦情をいうに決まっているくせに、そう思いながら予定通りにガソリンを買いに行った。まず今のがガソリンでは途中でガス欠になる積雪だ。お昼に除雪車をだそうとしたら、市の除雪車が来た。という事でうちの近所の南側ブロックだけで済むなと思ったら、いつまで立っても北側のブロックに来ない。

そう、丁寧すぎる作業で制限時間を超えてしまったようだ。他のところに行ってしまってこちらにはこないようだ。後日なのかな。

なので北側のブロックも全部やって、何か別な所が疲れた。


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一番疲れたのは、たぶんなのだがこの裏道を普段使わない人達が入ってきていたのだ。いや、普通の営業車まで、ものすごく邪険にされた。いつもと違って譲り合いの感覚がないのだ。こちらに退けと指示してきたドライバーもいた。まあ除雪車を使ったこともないのだろうからわからないのだろうが、除雪車はとても遅い。なので貴方がちょっと遠回りした方が早いはずなのだが。とにかくみんなイライラしていた。

ただなぜか一番イライラしていそうな運送会社がなぜかそんな空気を出さないんだね。なんでだろうね多分仕事だから感情で動かないのだろう。道路状況が分からないからこのわき道に入らなくて、荷物を走って運んでいた人も居た。それではあの近所の営業車は?

みんなひどい目にあったのだが、個人の目標になると違う考えになるんだろうな。

でも一番ひどかったのはガソリンを買って国道4号の信号を待っていたときに、かつてのお姉さんの車に思いっきり水を掛けられた。ほぼずぶ濡れだった。除雪&融雪剤の賜物なのだが、なんで見えているのにここで思いっきり水を跳ね飛ばしてゆくのか。

茫然としてしばらく国道を見ていた。ほかの車ではそんな事はない。だがなんで?考えは路肩近くは除雪が甘いので、氷の塊とかがある。ハンドルを取られる可能性がある。だから殆どの車は路肩近くの水溜りを避けていたのだ。

お姉さんは、キープレフトを守っていたのだが、そこには雪の壁がある。その恐怖があったのかもしれんな。顔はこわばっていたように覚えている。

とにかく道がいいうちに時間短縮しなければ。

だがあなたの恐怖は、私のクリーニング代の恐怖になる。


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降った

2018/02/15 02:43
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今日は昼を過ぎてからもさもさと雪が降ってきた。物凄い。ちょうど北東北の上空を低気圧が通るからなのだが、それにしてもよく降った。12時間で34センチの降雪量になった。これは盛岡の歴代記録ベスト10に入るかも知れない。なおベスト1から63/1/13の40センチ、04/3/6の38センチ、76/12/27の37センチがある。

なんだ北東北なのに対したことがないと思われるかもしれないが、盛岡は奥羽山脈の東側だ。あの山脈が低い雪雲をせき止めるので、実はこの太平洋側は今回のような低気圧が直接通過するとか、上空の風がとても強かったとかそう言った事がなければ、めったに30センチごえの積雪はない。

問題は降った雪がえらく凍ることなのだが、これは裏日本の人に話分からないだろう。


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でもこれで、なんとなく福井県や山形県の人に申し訳ないなと思っていたモヤモヤがなくなった。我々も歴代ベスト10に入る豪雪に見舞われたのだ。福井県福井市も歴代記録一位は1963/1/24の63センチで、今年の2/6の54センチはベスト10でした。とは言っても2/4〜7の間に12、47、54、28センチの降雪ですから、これは盛岡にはない現象です。

今年の豪雪は確かにいつもと違う低気圧の発生と動きが重なったためと言える。そして最近の温暖化で除雪体制が緩んでいたのかも知れない。その意味でなんで福井県で問題が発生したのかがよく分からないのだ。

豪雪地帯では青森市の例しか知らないが、たぶん除雪は年間契約になっていると思う。15センチ積雪があった場合除雪を行なうという契約だ。そんな日が何日になるのかは気象庁のデーターと付き合わせて行けば平均値は出せる。その日数から出動時間も算出できるので費用が算出できる。もちろんもっと正確に標準偏差を使った確率で算出も出来る。難しい作業では無い。これをもとに入札金額を出せばいい。この場合請け負った会社は、小雪の年は大儲けできる。そして大雪の年は損をする。だがこれで長期契約を目指す業者が現れ、結果スキルの高い除雪が出来るようになる。

福井県はもしかすると盛岡市と同じような、10センチ以上積もったら除雪のような契約になっていたのではないのだろうか。今盛岡ではこのところの小雪で除雪契約を受けたがらない業者が増えている。これは一回あたりいくらの契約になっているからだ。契約した業者は除雪計画に基づいて、機材と人を確保しておかなければいけないが、出動回数が減れば減るほどこの条件では大赤字になってしまう。

福井県は原発の停止で税収が落ちて居ると思う。除雪費を削りすぎたのではないのかと、勘ぐっている。ただ盛岡市の場合は、削っていないのだが業者が逃げまくっていない状態になっている。特に幹線も支線も可能な限り深夜に行う契約なので、人件費の問題が大きい。

そうなんだね、高齢化社会の問題と言うのは、雪の問題でみればえらくめんどくさいのだな。重機のオペレーターたちは人手不足で深夜の作業は嫌がるし、高齢者の家の前に雪が積み上げられると彼等は除雪出来ない。たしかに道路の除雪は車のためであって人には優しくない。

高齢化社会では、どこまでも人手不足なのだ。


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人はいつから自然に合わせなくなったんだろうね。たぶん機械化からかな。でもシステムまでそうなってしまって、人は自然に弱くなったよね。


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日本選手がドーピング

2018/02/14 03:17
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男子スピードスケート・ショートトラック日本代表の斎藤慧選手が抜き打ちドーピング検査で、マスキング剤の陽性反応が出て出場停止になった。

まずは残念な話だ。

年々ドーピング検査は厳しくなっている。とくに過去の検体まで調べられて、メダル剥奪とかがあったのは記憶に新しい。かつてはドーピングに役立つ薬品の発見があり、その代謝物の検出法の発見がどうしても遅くなった。検査技術があがれば、ドーピング技術も上がるといったいたちごっこになっている。それが最近はどうも検査技術のほうが進んできているようだ。どこが進んできたのかと言えば、検体が増えたのだ。オリンピックや世界大会があるたびに選手の尿や血液が集められる。その時はその時で検査するのだが、冷凍保存して保管しておくことができるようになった。そして検査にかかる試料が少しで済むようになった来た。すると実験回数が増やせられる。怪しい物質のリストができあがり、人間の生理からどの様な物質を与えればこれができるのかも解明される。自然物だけどこんなに大量に出るはずのない物質があるとか、そういったものもリストに入る。それらを勘案してドーピング検査方が確立されて行く。

かつては不可能とされた、自分の血液を冷凍保存して試合直前に輸血する血液ドーピングも、その痕跡を見つけられる様になって来た。

この中で特に重要なのがマスキング物質の存在だ。旧来の検査方では特定の物質の検査試薬を阻害する物質があると陰性と判断されて来た。ただ人間の身体に入って代謝されて出て来た物質がマスキング作用があるものでなくてはいけない。その上安全なものでなければいけないので逆にある意味発見が難しい物質になるのだが、そういった物質とのカクテルドーピングが行われている。それではマスキング剤を見つけるほうが早いと言うことになった。これで尿検査で今まで検出されていなかったのが、極めて疑わしいと言うものになったのだ。

しかしわかると思うが、このドーピング剤とマスキング剤のカクテルの処方は、個人ではなかなか出来ない。理由は個人差があって代謝にムラがあるのだ。もしかするとアメリカあたりには一般処方されたドーピング剤があるのかも知れないが、それをオリンピック選手が使うとは思えない。本来ならば定期的な検査でその匙加減をコーチなりが調べていなければいけないはずなのだが、多分なのだが最新の検査情報に触れていなかったのだろう。

つまり背後に誰かいて、そのミスがあったのだろう。


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日本人なのでキリスト教徒の様なギフテッドの概念はうすい。なので人為的に無理やり育てられたアスリートというのに対する拒否感はない。その前に英才教育のスポーツマンと言うのは、まさしく人為的なので何とも言えない。むしろドーピングの経歴を公開した方がまだマシなのかと思っている。現実に喘息持ちの競技者はステロイド剤の使用を認められている。まあしかたがないよね。代替薬物が無いのだから。ただ生理作用として攻撃性が増える。それは競技にどう影響するのかは分かるだろう。

そう言った公開が今後は望ましいだろう。現実に選手にとって怪我や故障から早く復帰するためにドーピングを使うと言う考えはあると思う。また集中した強度のトレーニングが続くときに、壊れそうな選手に処方するとかそう言った使い方はあると思う。処方されて故障から逃れたかも知れないけど、半年間試合出場停止になるけどね。

ただこの場合でも医者が判断したと言うのが必要で、無制限な使用はやはり避けられなければいけない。だがシステムがそうはなっていない。お金が絡むからだ。

ロシアのドーピング問題はかなり尾をひいているが、それ以前はどうだったのかと言う調査で、ソチオリンピックに出場するクロスカントリーの選手のうち、50人以上が血液ドーピングの疑いが、2001〜2010年のデーターから出てきたという。そして別な報道では2001〜2017年に行われた世界選手権や五輪のメダル313個のうち、46パーセントが1つあるいは複数の異常な値を示した選手によって獲得されたという。

現実には凄まじい状況になっているのだ。これはロシアだけでは無い。


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個人的にはオリンピックなぞ廃止されるべきイベントだ。こう言ったイベントがあるからダメなんだといいたいが、その前に一つだけ考えなければいけない。

なぜドーピングが悪いかだ。わたしは医療行為としてのドーピーングはあると思う。そしてそれは公開されていなければいけない。だが血液ドーピーングや覚せい剤の使用は、当然禁止になる。それは直前のパフォーマンスに作用するものだからだ。

はじめにドーピング問題が起きたのは、自転車競技で覚せい剤のオーバードーズで死亡した事故だ。ここからドーピングの問題が起きたのだ。だがこの最初に帰りたい。つまり死んでしまうような薬物を使わなければいけない状況にあってはいけない。もちろん今のドーピング技術はただちには死なないだろう。だがその人生はどうなのかという問題がある。ドーピングしても選手寿命は必ず来るし、その後の人生を私らは保障できない。例え名誉と財を成したとしても、こいつら幸せなのかなと言う感覚があるのだ。

そしていまや過去を検証されて名誉を剥奪される時代になった。そうなったら彼らには何も無いのだ。だがその時には、私らは彼らのことを忘れているのだ。

そしてスポーツの世界には、ドーピングした、正確にいえばその選手を罰するだけで終わるのが多い。なので結局残るのだよ。今回はロシアに厳しい判断が出たが、新しいウマを捜すシステムはどこにでもあるのだ。

オリンピックと相撲は実はかわらない。ともに興行である。そして世界の平和と言う名目と、神事という名目があるだけで、実は興行だ。まだ相撲の方がいい。世界中で壮大な人体実験を使った、生理学実験が行われている。その結晶がオリンピックだとすれば、倫理の問題なのだ。

われわれの倫理なのだよ。名誉と引き換えで確かに努力したとしても、寿命を縮めたり無くしたりしていいものかどうか、それを見て楽しんでいいものかどうか。

そして忘れていいのかどうか。忘れるという自覚はある。そして誰もが忘れるという自覚がある。

これが本当の問題なのだ。オリンピックでは金でなければ誰もが忘れてしまうのだ。

我々がドーピングを招いているのだ。
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流行は不幸を生み出すのだが

2018/02/12 23:26
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今日のNHK FMの今日は一日アナログレコード三昧が掛かっている。

ものすごいLPレコードがかかっている。日本版のディスクとイギリス版のビートルズのディスクの違いの聴き比べとかがある。まあとんでも無く違う。我が家のオーディオでもそうなのだから、FMの電波でもわかるレベルの違いなのだから、本当に違うものだ。

この理由には、マスターテープからサブマスターをつくって原板をカッティングするスピードや、サブマスターのロットの問題や、カッティングロットの問題があるという。その上で現地のエンジニアと日本のエンジニアの違い、特に録音やマスタリングに近い立場にいるレコード原板のエンジニアの感性の問題もあると言う。

ただマスターテープが完成してから、可能なかぎり早くカッティングしないと音が生々しくならないと言うのはどうなのかとも思うが、当時はそう考えていたのだろうから、正しいのだろう。とくにEP版のシングルはLPより先行販売することが多かったので、45rpmだとしても音がいい場合があるというのは、そういったケースだと言う。LPはその後にLP用にマスタリングするので、鮮度が下がるとい言う。にわかに信じ難いのだが、聞けば一発足ししかにそうとしか思えないほどに違うのだ。



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いまアナログオーディオブームで、偉く高額な製品がでている。品質が本当にいいから高いのか、売れないから高いのか、本当にわからない商品がある。そういった人たちがこの番組を聞いたらどうなるのかな。

アナログブームでも過去に変な演奏がいっぱいあって、それを捜し求める若い人たちが増えるのはいい。音楽は凄まじく重層的なのだ。歴史は一直線の単純ではなく、枝葉までひろえばものすごい広がりがあるのだ。

だが現実的には、中古屋さんでは売れた曲のディスクばかり売れる現象が起きるという。本当はその枝葉にすごい遺産があるにもかかわらず、そちらは三百円のディスクで売られ、人気のある曲でレアなものは超高額で取り引きされる、それは問題なのでは無いのかと、彼らも過去の音源で商売しているわけで、人気のあるディスクはいずれなくなるのがわかっているので、これはどうなのかと。


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この市場にオーディオマニアが入るきっかけになったような番組だったな。
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D君への返答 アングラ歌謡

2018/02/12 02:57
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豆のポタージュは色以外では、まあまあだった。ソラマメは完璧に消え去って枝豆ですらどこにいたのかわからん味だったが。素材と言うのを大切にする意味がよくわかった朝だった。

あとは泳ぎにいって、まあそんな具合。で、アングラ歌謡と言う言葉を使ったらD君への返答がなんとなくできた。だが恐ろしく錯綜している。何いっているんだか。本当によく分からない。

だが本質はなんとなくわかってもらえるかな。


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Dくんへアングラ歌謡を簡単に語ろう

基本
ハイカルチャーという概念がある。それは宗教とか歴史とかそういったものが素晴らしいというものだ。絵画とか音楽も18世紀までは、そういった概念で、今でも基本はかわらないと思う。絵画だと宗教画や歴史画がハイカルチャーになります。なので神話から題材に取ったヌードはハイカルチャーで、娼婦をそのままに描くとポルノになってサブカルチャーになります。音楽も宗教曲や交響曲とかオペラとかハイカルチャーで、全くの娯楽の物はサブカルチャーになります。
17世紀以降銀行家や商業が大きくなり、産業革命があったわけで、資本家が勃興してきます。彼等は貴族を真似したりしますが、彼等なりの欲求もあります。コンサート形式の演奏会と言うのは彼らの欲求から産まれますし、ウイーンでオペレッタやワルツが流行ったり、フランスでバレエが流行ったりというのはその流れになります。ただ王侯貴族並のお金持ちですから教養と趣味の良さをあわせています。また家庭内での音楽教育も流行っています。なにしろお金持ちですから、楽団は持てなくとも子どもの情操教育に取り入れる余裕はあります。ツェルニーとかピアノ練習曲集をいっぱい出して、後年子供たちを苦しめる作曲家がいるのはこのためです。
フランス革命以降民族という概念が生まれます。とくに植民地時代になって人種の違いというのが強く意識されるようになった事と、フランスという民主主義国家が生まれた事が大きかったと思います。ここでようやく大衆がなにを楽しみにして居るのかという研究がはじまります。民話や民謡や祭のときの音楽が採譜されるようになって来ました。中世にも祭の音楽とかが採譜されたことはあったのですが、数は少なかった様です。
さてここでようやくサブカルチャーとしての音楽が記録される様になりました。しかしアメリカの黒人霊歌や葬礼の音楽が記録される事があっても、初期のブルースは採譜される事がなかった様です。ここにも娯楽としての音楽は斥けられていた可能性があります。

サブカルチャーの誕生は、レコードの発明以降でしょう。もちろん出版物では古くからあったのですが、文字が読める人を前提にしただけでもある意味ハイカルチャーです。特に音楽では今まで口伝でしか伝えられなかったことが一気に広がった訳です。


演劇史でみるアングラ

日本の演劇史というのを詳しくは知らないのだが、能楽・狂言以前にも演劇はあったはずだ。だがそれはよく分からない。特に大衆演劇となればわからない。だがあったのだろう。江戸時代に歌舞伎や浄瑠璃がおきるのもこの流れだ。いま書いた演劇のこの項目は、武家の庇護や大金持ちの支持とかがあった意味でハイカルチャーだった。だがそれ以外にも各地に残っている人形劇や芝居を考えれば当時の状況が分かるのだろう。

ただ能楽や歌舞伎、そして人形を遣う浄瑠璃が音楽ベースの演劇であるのを忘れてはいけないと思う。歌舞伎はこの中でも特に大編成の邦楽と踊りと演劇で出来ている。そして話しも壮大で、忠臣蔵なんて通し公演をしたら何日かかるか分からない。

明快にわかっているのは明治時代になる。歌舞伎や能楽の様な大掛かりのものではなくとも、芝居と言うのは、寸劇と踊と歌で出来ている。つまりショー形式だった。そこに江戸時代では禁止されていた行政批判を持ち込んだのが川上音二郎だ。だがそれも形式的には芝居と踊りでできていた様で、現代的な芝居では無い。

芝居のみを目指したのは岸田國士で、新劇の開祖だ。フランスの演劇改革運動をみて日本に導入した。だが中身はどうだったのかと言えば芝居だけで見せようとしたと言うのが最も革新的だったかも知れない。だが岸田國士は国政翼賛会へ入って、第2次世界大戦の日本に協力した人物ともなった。多分その結果だと思うのだが戦後の新劇にロシアものとかの翻訳物のイメージが強いのは、このためだろう。

戦後の娯楽が少なかった時代には地廻りの芝居も、新劇もそれなりに価値があった。だが新劇に対して何か嘘くさいという、反発から生まれたのがアングラ演劇。歴史的な問題もあったが、新劇にどこか教条主義だった感じがあって、もっと身近な地廻りの芝居を取り入れた。レフトが民族主義に走ったわけだ。代表が寺山修司。新派に地廻りを接続させたものだからなんでもありの演劇になる。体制批判から諷刺からエログロまでなんでもありになる。劇場を否定して、仮設にこだわったりする劇団もあった。なんでもありの世界を表現するためには、死者から動物までなんでも出すので、役者のパワーも必要なのだが、その前に感情剥き出しの台詞や、1600字の長台詞とかわけわかんなくなってしまった。で、この時代は評論家が革命的な物をほめるから尚更過激になる。

客が逃げるほどになると手を替え品を替え、80年台の小劇場ブームまでつづく。そして日常を切り取った様な平田オリザの芝居でトドメを刺されるかと思われたが、手法などはアングラ演劇がとても色濃く残っている。


ここに映画

演劇が人気がなくなったのは、まず映画がある。初期は話の組み立ても覚束なかった物だったが、無声映画の時代から弁士がいて器楽が入って、さらに人工着色のフルカラーまであったりして見世物として楽しめるようになった。そして光学音声記録、トーキーが出る頃には話しも構成も洗練されて当然人気が上がる。しかし演劇はまだ人気が衰えない。理由は簡単で、ともに劇場で見るものだったからだ。そして演劇はライブの良さがある。しかしだ、映画がカラーになってもっと表現が広がってくると、映画の緻密な構成と練りに練った台本の面白さのほうが上回る。オマケに入場料は映画のほうが安い。

そしてなのだが、テレビの登場だ。新劇のような芝居は、自前で大道具から照明や音響を用意していたので高コスト体質だった。チケットもなかなか捌けない状況で公演数が減って、テレビや映画に俳優を貸し出すプロダクションという状況になってしまった。テレビで人気が出た俳優が出る芝居というのもウリになる。ただその状況は何のためにやるのかが不明解になる。そこで元に戻ってライブ感を出そうというのがアングラ演劇というところがある。チケットもできるだけ安くしてお客さんを取り戻そうとした。だがテレビに対抗して映画がさらに進化して、テレビもさらに面白くしてゆく。歌舞伎もスーパー歌舞伎の出現の様に変化して行く。
ただここにもう一つの楔があらわれる。ビデオだ。ライブものの終焉という出来事だった。だがありがたいことに、収録にお金がかかるのと販売数が確保できそうにないので演劇系のビデオはとても少ない。その上あったとしてもマニアしか買わないから、部数は少ない。映画とテレビが受けた影響は比較的少なかった。

そして、演劇はハプニングがつきものなので倫理規程が実は緩い。


脱線だが話芸

明治維新以降、新しい物がもてはやされて落語の人気が落ちたといわれている。実は別な話芸が勃興したというのが大きい。講談や浪曲だ。この理由は分からないが、自由民権運動の演説というのがそもそも娯楽なところがある。今でも伝統芸能のように自民党に残っている。

落語の場合は、どうしても笑いという形にしなければいけないので時事ネタとかは枕でしかできない。だが講談や浪曲はそれが可能だった。そして、人情ネタが多い。多過ぎるほど多い。特に任侠ものは強い。何でなのかなと思うと、激変する時代でかわらないものを求めようとすると、義に厚く情に熱い人の話を求めるのかと思う。

それでは今現在講談や浪曲の人がどれくらいいるのかといえば、落語家の方が圧倒的に多いらしい。


歌謡曲
歌謡曲が出来る前まで歌謡曲はなかった。実はそうなのだ。それは世界中でも言える話だ。レコードがなかったのだ。端唄小唄や民謡などは歌う人の所に行かなければ聴けない。確かに流行歌があって全国の民謡にその痕跡が見られるが、口伝なので歌詞が違ったり節回しが違ったりして伝承されている。そもそもプロ歌手がいないのだ。確かに歌舞伎や浄瑠璃の世界のプロはいる。江戸末期でようやく津軽民謡歌手というプロがあらわれるが局地的だ。

ここには記譜法の問題もある。日本の民謡は口伝で、楽器の譜面もリズムの指定のない音階だけの記譜になっている。リズムは口伝でしかなかった。そして雅楽ですら指揮者がいない世界、これが日本の音楽だ。

歌謡曲の世界ではハッキリとハイカルチャーとサブカルチャーが分かれている。この理由は、簡単に言えば明治維新以降の西洋政策なのだが、音楽教育は口伝でしか伝えられないのは教育にそぐわず、合理性のある西洋音楽の平均律を採用したのだ。平均律世界がハイカルチャーで、それ以外はサブカルチャーである。

これはなんとなく分かると思う。いまでも味があるとかそう言った歌手は確実にリズムが正確ではないし音程も厳密では無い。90年代以降は逆に精密になりすぎたように思う。

さてレコードだ。この時代流行り物はどんどんなんでも出していた。マーラーの交響曲4番を世界で最初に録音したのは日本だ。何でもかんでも売れそうだったら何でも出した。クラシックやジャズなどの今でも分かりやすいものだけではない。民謡から講談から浪花節から落語から、政府の広報活動まで何でもござれの時代があった。そうやって売られた物は情報統制があっても残ってしまうもので、おまけに満洲や上海に行っていたミュージシャンが、ある意味本場ジャズとかポップスをもっていた。

戦後アメリカが占領して、アメリカンポップスやジャズが入ってきた時には、もともとはやっていたんですね、そして演奏者もいた。進駐軍の中でジャズの演奏などをしていた。沖縄にはそれが伝統芸能化した沖縄ジャズがあるらしい。アメリカ人のウケを狙ってアメリカのコミックバンドのコピーもやっていたりする。その中で出てきたながハナ肇とクレイジーキャッツ。進駐軍や基地内で流れているラジオ放送から、同時にロカビリーやロック、そしてフォークが入ってきます。ロカビリーやロックはGSで花開きますが、どうも日本語だとうまく行かないのでえらく難義しながら、はっぴいえんどでようやく日本語ロックが完成したとも言われています。ムード歌謡にはこのころの影響がありますね。

問題はフォークです。フォークはしみじみとしたいい曲がありますけど、アレに体制批判を乗っけているのが当時のアメリカです。公民権運動やベトナム反戦運動があった訳です。で、当事の日本のロカビリーは歌謡曲になってたし。で、ロックは歌えなかった。特に歌声喫茶ではね。その上で最新鋭のアメリカンフォークはベトナム戦争やら何やらでものすごく反体制的なんですね。のちのパンクから考えれば上品な表現なのだが、それですら日本で禁避されたところがあります。なので日本人のある意味本格的フォークはレコード会社が逃げまくった訳です。
で、彼らはレコード定期購買のシステムを作るのですね。これはなぜか成功したら。ここには高田渡とかそうそうたるメンバーがいたわけです。三上寛もここから出たと思う。でもこの定期購買のシステムは実はクラシックのレコードの販売であったんで彼らが作ったわけではない。ただ彼らのフォークが過激だったかと言えば、今から思うとそんな事はない。学生運動が盛んな時代だったから特に敏感だったのかともいえる。メジャーデビューのザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」も原曲が北朝鮮のものだったと言う以外には問題がない曲だったが、放送禁止が長くつづいた。

フォークがはやっているのに恐くて出せなかったレコード会社は、何とかフォークの歌手や作家をみつけて出しはじめます。そこででてきたのが恋とか愛を語るフォークです。

当然本格派のフォークファンは怒る訳です。資本に走りやがって、テレビとかにでて甘い事ばっかり言ってやがる、魂の叫びを聞かせろよ、と。ですがメジャーには勝てない。徐々に本格派のフォークはコアなファンのものになりニューミュージックの時代になる。

ただこのときの影響がかなりあった。長崎のさだまさしと福岡の海援隊はメジャーデビューの時に地元から大反対にあった。これはのちに和解する。吉田卓郎の場合はメジャーデビューする際に、日和ったと言われて、かなり後年まで影響したと思う。またニューミュージックの歌手のなかには、テレビ出演しない歌手が多かったのも歌手なら歌一本で勝負するべきだと言う、その本格派の影響がある。

ただ自主レーベルで作家性を担保したり、レコード会社との資本関係をなくする事で独自であるというのを担保しようとしたのもこのころ。個性的な歌手が一杯になるのもこのころです。

さてアングラ歌謡というのはあるのかという事ですが、当時の時代にはインディレーベルというものがなかった。90年代後半までなかったか弱かったか。なので、地元のライブハウスで活動するバンドなどからピックアップしてゆくしかなかった。今では地元のライブハウスで人気になり他にも呼ばれるようになり、インディレーベルからCDを発売してメジャーに移行するという流れはあるが、当時は行きなりメジャーとなった。その際にメジャーに適合するようにあれこれ注文をつけてしまうので個性が潰される可能性もあったわけだ。それをヤマハのポプコンやバンドブームのイカ天のようなコンテスト形式のシステムで拾い上げたりしてきた。

ただ本当に、そう言ったシステムのない時代があった。彼らの活動するライブハウスとかでも、政治色や実験的な音楽をあげるライブハウスをアンダーグランドと言ったりしていたようだ。だがそれはメジャーに対してのマイナーとしてのアングラでもある。

それでは、何がアングラなのかと言うのは、そもそも西洋音楽と日本語の接続がとても難しかった、と言うのがある。歌詞の内容とリズムをどう合わせるのか、これがえらく難義な事で、歌詞を弱くしてリズムに乗せたのがGS、合わせやすかったのがフォークなのだが、メロディラインが何か違う。誤魔化したくないと思えば思うほど独自の路線になった。それが多分ニューミュージック。その中で普段使わない言葉をどんどん入れて行く。

この日本語の問題がえらく大きかったのではないのかと思う。山田耕筰の作品をクラシックの日本人歌手がまともに日本語として歌えるようになったのは、90年代に入らないと出来なかった。日本にラップが入ったのは90年以前だが、まともな日本語ラップは21世紀にならないと出てこない。

次に大きかったのは60年代以降暫く、その左翼的思想で芸術運動は全て収斂すると考えられていた。なので現代美術や文学や音楽などの影響はあったと思う。そして哲学や心理学は大きい。ユングやフロイトは影響しているだろうし、美術のシュールレアリスムも影響しただろうし、ダダイズム時代の詩人も影響しただろう。ただ戦後何でもありの解放された日本と言う状況で、本当に何でもありで作詞に何でもぶち込んだと言うのはある。そして演劇からやっぱり寺山修司の影響はある。浅川マキがいる。そして美川健一がいる。

90年代以降、マーケティング的な手法でプロデュースが行われるようになったといわれているが、それでもやっぱり当たりハズレがある。それでは感覚的に行われていた時代では、全くの博打みたいなもので、ある一定数が売れそうだとおもえば何でも出していた時代がある。阪神のオマリーの六甲おろしとか、無茶苦茶なものがいっぱいある。

そもそもがそう言った論理でできている世界なのだ。なので例えば戸川純がヒットしたりするのは、その前に無茶苦茶な世界があったからともいえるし、YMOがインスツルメンタルで、ほとんど歌なしなのに流行したのも、受容史があったからとも言える。
ただね、昭和史を彩る暗さというのはある。そのひとつひとつが積み上がって、シュールだが笑えるとか考えさせる歌が産まれた。別れが前提の演歌とか引きずって生きることとか、愛や恋に置き換えていても、どこか戦争とそのあとのことがうっすらと滲んでゆく。その暗さはアングラと言われても仕方がないのかも知れない。

だがね、本当に暗いのは谷川俊太郎と武満徹の曲だよ。「死んだ男の残したものは」

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

歌とは我々の物である。だがその時代で変化するし、影響しあう。たまの「さよなら人類」はこの歌詞の返歌とも言える。正確にいえば「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマ「やつらの足音のバラード」も重要だろう。そして大きな物語が溶解して、小さな物語が再帰する時代の始まりだったのかも知れない。「2001年宇宙の旅」と「猿の惑星」が交差する。

アングラ歌謡というのはあるのか

今現在ハイカルチャーがえらく難しいことになっている。お金だ。オーケストラを維持するのもかつての貴族や大富豪の寄付で成り立っていたが、今ではそれもかなり難しい時代になった。ヨーロッパの弱小楽団の財政難はよく聞く話だ。そして日本では?

大阪府が浄瑠璃への補助金を削減しようとした事があった。自主努力してきたの?ダメでしょ、そう言われた訳だ。これは今多く有る話だ。それはヨーロッパですらある。

なぜこうゆうことになったかと言えばハイカルチャーの価値が落ちたのだ。理解出来ないハイカルチャーに対して、サブカルチャーが圧倒的に優勢になったからだ。ここにはマーケティングからお金を集める構造の変化がある。大衆が求めるものが正義になったのだ。

今の時代はそうであって、たとえば無名な人がYouTubeで圧倒的な人気が出る事もある。そこにはマーケッティングがあったりする。

過去の日本のアングラ演劇はビデオがなかったので記録されなかった(彼らはかなり映画も撮っているが、彼らの舞台は少ないと思う)。過去のフォークは限定発売でメジャーになる事を否定した。だがそこにも自由は無かった。お金が無かった。継続性は無かった。

サブカルチャーに限界があるとすれば、誰がカネを出すのか、この一点になる。なのでお金を出してくれる人をいかに確保するのかが、そのシステムをどう作るかが問題になった。その今からみたら、昔は全部アングラだったとも言える。
そして今ではかつてのアングラは、時代の流れに溶解してしまった。この時点からみれば、かつての用語を今使うのは、適切な表現ではないのかと思う。

最後に
サブカルチャーの歴史はなかなかに変なものがある。お金に向って常に進化する。売れるために何をするのかと言う試行錯誤の連続になる。例えばアイドル御三家初代は今から思うとどこがアイドルなのかはわからない。だが二代目となるとはっきりとキャラ付けがある。明快なのは桜田淳子と山口百恵だ。正統派アイドルの桜田淳子と大人びた唄の山口百恵だ。その後にもそう行った対立構造はなかなか出来なかった。理由は健康派とかジャンルが広がったからだ。

しかし松田聖子が出たときには世の中ビックリした。こんなに歌が上手いアイドルがいるのかと言う事で、作詞家から作曲家まで殺到した。だが正統派アイドルである。同時期に中森明菜が出た時には、桜田淳子と山口百恵の構造かと思われたが、背後にいた作詞家や作曲家が暗躍していたりする。たとえば聖子が「涙はダイヤモンド」と阿久悠の歌詞で歌えば、明菜は「飾りじゃないのよ涙は」と井上陽水がうたわせる。そう行った事が起きる。それではなんと同時期にデビューした戸川純には最先端の音楽家が集まる。その魁偉な能力と広い音階と多様な歌唱法ができるということに注目が集まったからなのだ。だが松田聖子と実は変わらなく、クリエイター達が洋楽を聴いてこんな歌手が欲しいなと思っていたら、出てきてしまった、そこでの反応なのだ。

ただ戸川純は、曲を作ってもらって自分で歌詞を書いた。そのために変な歌詞しか無いのだが、その受容史は考えた方がいい。浅川マキがいて、「恨みます」と中島みゆきが歌ったときから実はジェンダーの問題があった可能性がある。ようやっと喋れたのだ。そして山崎ハコの「呪い」とか大貫妙子の不思議ちゃん世界が存在して、引き裂かれた世界に生きる戸川純の歌詞がある訳だ。そこから椎名林檎にいたるまで系譜として一環の流れがあるのだ。

女は本音を歌ってはいけないのだ。男社会に従属した歌しかうたってはいけない。

女のための女の唄があるべきなのに、レコード会社からクリエイターから男ばっかりの社会だったから、出なかったと言うのはある。シンガーソングライターという地位が確立されてから、徐々に出て来た。そしてなのだが人類の半分は女性と言う事実がある。そこにひびかない曲は存在しないも同然となっている。いまではアイドルの曲は女性に愛される事が前提となっている。

次にポストモダンの問題がある。大きな物語が喪失し、小さな物語が再帰し続ける世界にいる。だが音楽というものは個人のものだから、そもそもがポストモダンなのでは無いのかとも言える。だが決定的に違うのは、かつての音楽は人に弾いてもらわなければいけないものだったのだ。自分で歌えばいいと言うのもあるが、誰も聞いていないのに?江戸時代の流行歌として葉唄・小唄がある。好きで口ずさむのは良いが、人前で披露するのは習わなければいけない。そう行った時代があったのだ。今でも民謡はそうだろう。邦楽もそうだ。徒弟制度が残っている。まあ譜面が譜面なので、これはどうしようもない。

レコードが出来てからの世界でも、売り物だからきちんとプロの作曲家とプロの作詞家とプロの演奏家とプロの歌手と言う構図があるが、それは実際にはそれ以前からそうだったとしか言いようが無い。たまに歌手が歌詞を書く事はあるが、基本はこれだ。

ロックやフォークのブームから自作自演が増えてゆくのは、一定の音楽教育をうけていなくとも聞けばわかる世界になったというのはある。1日でレコード10枚聞くとかそう行った事は以前のライブ中心ではできなかったが、できるようになった。その上教則本とかいっぱいあるようになると独学で作詞作曲できるアマチュアが増えてゆくのは当然のことだった。その中から特にうまいのがデビューして行く。

だがそれも高度経済状況があったからだともいえる。音楽のマーケティングができるのはせいぜいクラシックか民謡と洋楽だけだった時代に、新しい物を出し続けるリスクをレコード会社が取れることもあった。だが売れない時代になってからは、だれもリスクを取りたがらない時代になった。このためにインディーレーベルというシステムが発展した。結果恐ろしく上手いが、どう突き刺さるのか分からない音楽が量産されているように思える。

だがこれは大きな物語が喪失した時代の話なのだ。もともと音楽は個のものであったのだが社会的な位置付けがあった。レコードは個のものというのを押し進め、そして配信系というので決定的に個のものになった。社会的にどうのこうのというバックグランドがどんどん消えて行き、個人の感情にささるものしか要求されない。そして作詞・作曲・演奏する側も身近なもの以外は扱えない。特にブランディングが成功した歌手ほど悲惨なことになる。ゆずだね。みじかなところからあったかい応援ソングのふたりは、体育系イベントの感動歌手という枠組みに縛られているように思える。そこでずらすという戦法がとられているのが、複数アイドルの手法になっている。一定の枠には常にいないようにしている。
もともと音楽には固定したファンが出来て、それがうるさ方のマニアになるのだが、音楽家としてどう成長して行くのかという意味では邪魔でしか無い。だがうまく誤魔化さないといけない。意図的にやったのは電気グループの「シャングリラ」だろう。ずらすのではなくてヒットチャートに挑戦で、いままでのファンを裏切る勢いで作った。

それは自分達の音楽が消費されないようにするためだった。音楽が個のものになった以上忘れられないようにする必要があったのだ。それが今という事になる。
情報量が実は決定的だったのだよ。多過ぎる世の中では誰もが身動きが取れなくなるのだ。新しい事をするのは音楽ではかなりのパワーのいる時代になっている。
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ゴミな話

2018/02/11 02:36
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今年で設置140年目の東京都中央区立泰明小学校の標準服が話題になっている。標準服とは言わば制服。で、この標準服の制定が校長が単独で決めたことと、価格が一式9万円台と言うのが話題になっている。いまの標準服は、上着、長袖シャツ、ズボン、帽子をそろえて男子で1万7755円、女子で1万9277円。ものすごい値上がりになる。この小学校は銀座5丁目にあって、商業地で子供が少ないので中央区全域からの入学が可能な特認校で、ある意味貧乏人は来るなといったことなのかともいわれている。

校長は「食育」ならぬ「服育」と言う教育方針をお持ちで、新標準服の制定で何社かとも話し合ってきたと言う。

さて私が思うには、なんでそこでアルマーニなのよ、この一点。エンポリーオ・アルマーニだとしても、これはどうなのか・値段とか服育とか突っ込みどころ満載だが、ラグジュアリーブランドというのがわかっているのだろうか。これは深刻だぞ。アルマーニはラグジュアリーブランドなのだぞ。たしかに超高額な吊るしのスーツも作っている。だが天井なしの価格の服を作るブランドなのだぞ。

そう言ったブランドはたとえ子供服でも、いやアルマーニの子供服があると言うのをはじめて知ったが、自身のスタイルは一切崩さないのだ。車で言えばポルシェか。どのランクのクルマでもポルシェらしいデザインと性能を担保する、そう言ったものだ。カジュアルなファストファッションですら、つまりユニクロですら、型がある。H&Mやザラなら当然もっと強くある。ラグジュアリーブランドなら?

もう見ただけで無理。BMI25以上の男性はマッチョでない限り着ても意味がない。可能な鍵とBMI20以下の方の服だ。そう言ったスタイルの服だ。いや最初っから客を選別しているのだ。アルマーニは最初っからかっこいいやつの服なのだ。もちろんアルマーニの考える理想像以外の人にも服はつくる。だがそれが天井無しの世界なのだ。クチュールの世界だ。

この類のブランドは徹底してブランドらしさを追求する。ちょっとでもブランド価値を毀損しそうな服はつくらない。結果絶対似合わない子供が続出する。そこをどう着こなすのかがポイントになるのだろうが、それは小学生にはムリだろう。そもそもどんな高級な制服だって、制服という段階で「服育」ではないだろう。

そもそも流行をつくるブランドに制服は似合わないと思うし、それを決断したのはえらいことだ。そして一式9万でなんとかなるようにしたのは素晴らしい事だと思う。だがね、この校長は、本当のことが全くわかっていないと思う。

服だけで礼儀作法が身につくと思うなよ。立ち居振る舞いとかが美しくなると思うなよ。あれは壮絶な努力で成り立つのだよ。小学生に立派なべべ着せてわかるというものではないのだ。

アルマーニのサイトに行ったら、より一層そう感じたよ。逆にあれに慣れてしまった子供というのも怖いような気がする。服は着るものであって着られるものではない。服を支配する意志が必要なのだ。


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中国が廃棄物の輸入制限をかけたという話がある。中国でもゴミの分別回収を進めるという話から始まっている。ただいきなり細かくなっているので大丈夫かと思うし、現実的にポイ捨てのゴミを回収して業者に売る人たちもいっぱい居る。

基本的に環境保護の一環でもあるしCO2対策でもあるゴミ分別回収は悪い話ではない。だが実は2016年で中国の廃棄プラスティック消費量は1878万トンで、そのうち735万トンが輸入だった。実はこの輸入を止めたいという思惑もあるようだ。中国人が平気でポイ捨てしているプラスティックゴミを回収出来たら輸入ゴミと言うわけの分からないものも減らせれる。その意味で一石二鳥の政策なのだ。悪い話ではない。

だが中国が廃棄プラスティックを輸入してきた国の第一位が香港の178万トン、2位が日本の84万トン、3位がアメリカの69万トン、タイの43万トン、ドイツの39万トンなのだ。このうちもしかすると香港とタイは中継地の可能性があって、選別などの作業をしているのかも知れない。現実に日本の財務省貿易曲での統計では2016年に中国へ80.3万トン、香港に49.3万トン輸出しており、その金額は600億円になる。さて何が問題になるのか。まず600億円の大市場が消えたのだ。次に中国にプラスティックゴミを輸出する場合には、精度高く分別して溶解してペレット状に加工しなければ中国は受け付けないと言う事。そしてこれらのゴミを簡単に処分するのはサーマルリサイクル、つまりは発電施設を持つゴミ焼却場で燃やす事だ。

世界のリサイクル問題の一角が壊れた訳だし、その内訳もわかった訳だ。結論からいけば、先進国のリサイクル事業、特に日本のリサイクル事業ってなんだったのかと言うのが見えてくる。

結局リサイクルできていなかったと言う事だ。
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お久し振りです

2018/02/10 01:49
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仕事があったというのはあるが、数日ブログを休んだ。ああとっても楽。とは言っても変な事を描きまとめて居たからこちらに書く余裕がなかったともいえる。その変な事とというのは、「アングラ歌謡」と言う言葉をある学生が使ったことだ。それに対してその用法は少しおかしいと説明したのだが、実際には言葉が足りずに考えをまとめていたのだが、奥が深い。結論から言えばサブカルチャーの世界では、演劇以外でアングラという言葉は適用できないのではないのかということだ。勿論音楽では本格派のフォークの方々は、一時期音楽配信の仕方が特殊過ぎたのと、過激な歌手ばっかり載せたがるライブハウスがあったりして、それをアングラと言えるのかもしれないが、そのころの歌手たちは今からみれば全然過激ではない。そしてそもそもメジャーな会社でないとレコードを流通させられないから、アングラというのは限界があり過ぎる。

違法化そのギリギリの線を狙って作られていたエロ本やテープやビデオ類は正にアングラだが、そのエロの世界以外では、マスを狙って行くので、むしろお客がなにを欲しがっているのかよくわからないままに、何でもかんでも出していて、その中には相当変なものもあったと言うのが大きい。

アングラって簡単にいうなよな。ノイズなんてどうするんだ。マイナーだけど彼らにアングラと言ったら怒るぞ。


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以前パンプキンポタージュにはまっていると書いた。牛乳は安くて栄養価が高いので食事に取り入れようとしたのだが、年のせいか乳糖分解酵素が無くなったのか、一日200CC以上飲むと腹をこわす。粉末のコーンポタージュですらなにかが悪さするのか腹を壊す時がある。ハロウインの時に作ったパンプキンポタージュが腹を壊さなかったので、以来つくっている。そこになんか変な混ぜものをしてみようという悪い癖が出てきた。今のところサツマイモを全体量の三分の一までいれるのは可能。甘さが強調される。香りつけに柿を使ったが物の見事かぼちゃの香りに近い。但し仕上がりで柿の渋が細かい粒になるので、結構仕上がりはワイルドになる。豆も白ササゲは味にも香りにもそんなに作用しない。白花豆が良いのだろうがお値段が高い。人参や玉ねぎを10%入れるのは結構食事感が出ていい。粘りを出すためのごはんをいれるより、牛乳の量を減らしたほうが美味しくなる。

ただここまでするより単純にいいかぼちゃを手に入れて、それ一本のほうがインパクトはあるし、コストも安くなる。あんまり良くないかぼちゃの場合には、さつまいもがいいだろう。


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ただもう国内産のカボチャはないし、メキシコ産になるのだが、カボチャ以外もどうなのかということで、冷凍のソラマメと枝豆と白ササゲとじゃがいもでポタージュを作ろうと思い、今日は作業していた。豆なんでニンニクも入れるし玉ねぎも入れる。コンソメも多めに入れるし月桂樹で香りも付けた。

だが煮こむと緑色がどんどん抜けていって、何か美味しくなさそうな色になった。そら豆のスープは冷製なのかがよく分かった。

ただ冷凍のソラマメだが中国産と言うのはあるのだろうが、いまいち完熟のソラマメでは無い。なので特有の青臭さが強い。まだペーストを作っている段階だが、同じ中国産の冷凍だったらむき枝豆のほうが結果が良さそうな気がしている。

どちらにしても腹を壊すかどうかが判断基準になるのだが。
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不思議なんだが

2018/02/06 22:31
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先週の金曜日と昨日月曜日で、アメリカのダウ平均が1800ドル以上暴落した。だがこのニュースの解説は不思議なものばかりだ。

まずキッカケは失業率が過去最低になったというとてもいいニュースからだ。だが失業率が下がって賃金が上がり、それが製品価格の上昇やサービスの低下に繋がり最終的に消費者にコストがまわってくる。インフレが起きて、金利が上昇して企業業績が悪化するという。

新自由主義経済の国の経済記事の記者と云う者がこんなことを言い訳にしてはいけない。新自由主義であったらこの局面で経営者は智慧を凝らして、高賃金でも経営を維持するだろうし、賃金の上昇も昨年からの話で、未来の話ではない。その上金利は急激には上昇できない。インフレが急激に進行する事はないし、金融緩和の政策を続けていたせいで逆に金利をあげにくくなっている状況がわかっているはずだ。そしてトランプさんの法人税減税が待ち構えている状況で、この理由は言い訳でしか無い。

新自由主義者なら、「過去より経済規模が大きくなったので、金額は過去最大ですが、割合としては最大とは言えません。失業率は良い話ですし、将来の金利上昇も市場で決定されることです。中長期のスパンで行けば常に一定以上の割合で経済は成長します。今回は原因はこれから探りますが、たまたまとしか言いようがありません」そう応えなければいけない。

金利が上昇したら個人ローンの問題が大きくなるのは分かる。だが企業の借入金が問題になるとは思えない。FRBの金利が上がるのはもう1年前から想定されていた事だ。それを考えない経営者だけとは思えないのだ。

何故彼らは2年程度のスパンで起きる可能性にそんなに脅えたのだろうか。確かにコンピューターのプログラムの問題もあるだろうし、加熱気味だったというのもある。調整局面といっても良いのかもしれない。北朝鮮もあるしシリアの問題もあるし、世界戦争になる可能性はいたるところにあるし、良い話で株式が暴落するのは理解し難い。

そして債権市場も穏やかでは無いのだ。アメリカ国債は減税のために発行数を増やしている。通常は株式の先行きが怪しくなると、安全な債券市場で国債を買う事になるのだが、その動きがないという事だ。これもまた将来の金利上昇で、いま国債を買うと損をする可能性があるからだ。

さて今回のこの下落なのだが、理由ははっきりしている。富の偏在だ。1%の金持ちが世界の何割を持っているかということだ。その中でのリスクの取り方は確実にノーリスクだ。ハイリターンは狙わないにしてもリスク管理だけは徹底してやる。これが市場を過敏に反応させている。
庶民にとっていい話も彼らにとっては悪い話なのだ。

そしてなのだが、金利等は確実に言い訳なのかも知れない。これは憶測でしか無いが、ダボス会議が、その1%の人たちが集まった、いい事だけ話して自分はさも善人に振る舞って、結局何もしない会議、たまにはビル・ゲイツみたいに慈善事業にせいを出す人もいるが、そこにトランプさんがあらわれた結果なのだろう。世界にカオスがあらわれるのを感じ取ったのでは無いのだろうか。ただ何を今更とは思う。

我々がいないと彼らは1%で居られないはずなのに、もしも本当に金利上昇だけで逃げたとすれば、彼等は何を考えているのだろうか。どうせ99%は神から見放された無能で努力しない人々なのだろうが。
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カメラ等精密機器の掃除に!レコード掃除に!万能のワイパーですな

2018/02/06 03:47
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最近喫茶響の熱田氏がレコード掃除を頑張っている。そう、レコードはどうしてもその構造上細かい埃が溜まりやすい。とくに粘土とかの細かいホコリや綿ぼこりだ。綿ぼこりはさっと拭けばいいがその土系のやつは如何ともし難い。そこで掃除用の道具を買って掃除しているのだが、そのキットについて来ていた不織布がえらく高い。そこで代替品が無いのか悩んでいた。そこで実験器具用のキムワイプを提案した。紙なのだがパルプ由来のゴミがほとんど含まれていない高純度のティッシュだ。これでだいたい間に合うのが分かったのだが、さらに高級品がある。カメラや精密機器を拭くための特殊な紙だ。紙といってもレーヨンの不織布だ。紙と同じセルロースなのだが糸にする際に純度を高くしている。そして繊維が長く作れる事から、キムワイプよりさらにゴミの発生が少ない。そしてなのだが、紙と同じ特性を持っている。水をよく吸うのだ。だが紙よりは水濡れに強く敗れにくい。そしてアルコールなどの溶剤にも強く、精密機器用の清掃用の紙として使われる事が多い。肌触りがいいので、化粧用のティッシュがあったりした。現在の原料はコットンの屑を化学処理して作るために通常の紙よりえらく高いものになる。

それがだ、なんで厨房器具屋さんの棚にあるんだ!


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フジナップという飲食店向けの業務用品の会社の製品だ。不織布については強いようで様々な製品がある。このワイパーは出たばっかりなのか、会社のサイトにはまだなかった。
紙より水濡れには強いとは言え、やっぱりセルロースなので補強用にポリエステルを混ぜている。これがコシを作るので微妙な固さがあるが、むしろこのコシを使って掃除をした方がいい感じがある。

ただ会社の考える用途としては、食品製造機器の清掃・ふき取りとか盛り付けの際にはみ出たソースやクリームの処理とか調理器具のメンテナンスとか書かれている。だが実際、レーヨン紙まで必要な業務とは思えない。製造機器の清掃でも最後の仕上げに使うのは分かる。だが2種類の紙を使い分けろと言われても、現場は混乱するだけだろう。調理器具のメンテナンスにしても、ここまでは要らないように思う。それではなぜこんな製品がでたのだろう。

真面目に悲しくなるくらいに食品製造現場が追いつめられてるという事だ。特にコンビニとかの弁当の製造現場だろう。本当ならキムタオルとかで充分なはずだし、それよりもキッチンタオルの方が安いのだが、破け難いということと、水も油も吸う性質のもので、アルコールから塩素系消毒剤まで対応できる素材で、ゴミが出ない事。もうこの一点に尽きるのだ。食中毒や異物混入問題だ。

食中毒問題ではどんなに消毒しても布の布巾は、大量に洗濯が続くのでだめなのだろう。なのでキッチンペーパーのようなものが好まれるのだろう。

最先端の食品メーカーの工場は、無人化している事が多い。理由は人が問題になる事が多すぎるからだ。それでは弁当工場のように盛りつけに人がいっぱい必要な現場で、絶対異物混入が起きないようにする為、なのだろう。キッチンペーパーの紙くずとか、濡れて破けてしまったりすることがない紙が必要なのだろう。

食品には青はほとんどない。その為にはこの紙は青に染色されている。

安全・安心のためにここまでの製品は無いだろうと思うが、実際問題が起きれば、その会社は倒産することがあるので、こういった製品の要望があるのだろう。


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染色した色素が出てくるのでは無いのかと、オーディオマニアあたりは考えそうだが、オリンパスEEクリーナーで出てこないから、たぶん大丈夫。市販されている溶剤ではこいつ最強なので問題は無いだろう。

繊維の方向性が明解なのが特徴だ。縦方向で使うと微細なデコボコに対応出来るだろうし、横方向で使うとこそぎ落とす様に汚れが取れる。多分縦方向にポリエステルを使ってそこにレーヨンをからませたのに、使い方の可能性を残したのだろう。我が家のパソコンモニターとか色々使ってみたが、この縦と横の使い分けで評価がかわると思う。

さて気になるお値段なのだが、100枚で380円。実験器具用のキムワイプは150枚で130円。ただし面積がだいたい半分になる。100枚当たり173円。おなじく面積が半分のレーヨン100%のカメラや精密光学機器用のレーヨン紙が面積換算で100枚あたり864円。用途が違うとは言え同じ機能のこいつはいかにもお買い得では無いのだろうか。

ただボックスティッシュの10倍以上の価格というのはある。だがカメラやオーディオの様な業界ではこの5倍以上も受け入れるのだな。レコード掃除は確認していないが、多分此れほどのアイテムはない。

さて気になるのは中国製ということでしょうか。でもね、レーヨンも製紙も枯れた技術なんですね。今の彼らにはこの程度は簡単でしょう。溶剤耐性もかなりなものかもしれません。なので食品業界だけでなく、もっといっぱい使えそうです。

ますはレコード掃除かな、
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まあこんなもんだ

2018/02/05 02:42
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金曜日は泳ぎにゆく。過労状態はどうだったのかと言われそうだが、ここはヘビーに短距離で泳いで経過を見ます。しかしだね、結局翌日微熱がでた。流石に無理だったかと思ったら、今日は無事筋肉痛の昇格した。

どうゆうことかと言えば筋肉が過労で伸びた状態を、ブチブチ切ってしまって修復作業に取り掛からせてしまうということ。思ったより切れていたみたいで炎症が起きてしまっったということだ。無事修復作業中です。

よいこは真似しないで下さいね。


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トランプさんがTPPの加盟に前向きな発言をしたと報道があり、少し唖然とした。だがどうもおかしいのでしばらく様子見をしていたら、結局翻訳に問題があったということが分かった。意外とあっというまに決まってしまて3月に批准かと言う話になった。ただTPPの批准国のなかにはカナダとメキシコ、そして韓国が居る。それぞれがカナダ・メキシコのNAFTAと韓国とのFTAが交渉中なのに、TPPが先に発足してしまうとそれぞれのFTAの条件が上位のTPPに準拠する事になる。アメリカにとって不利になる可能性がある。とくにアメリカ産牛肉に関しては確実に不利になる。この条件でアメリカの畜産組合が中間選挙に協力するとは思えない。だからブラフを放ったとみられている。
トランプさん相手なら、11カ国のTPPのほうが平和に締結できそうだ。そしてEU離脱が決まっているイギリスがEUとのFTAの前にTPPに参加する可能性が高くなって来た。EUとFTAを結んでいる国がTPP国に多いことから、結果としてEUがTPPに参加する可能性すら出てきた。

もしもなのだが、ロシアがウクライナ問題から手をひいてしまえば、彼らもTPPに参加できる条件がそろう。まあこれは夢だ。だが気が付けば貿易問題ではアメリカ包囲網ができてしまいそうだ。そしてなのだが、いまの中国の状況がもっと突き進んでゆけば、彼らだってTPPに参加できる可能性がある。とりあえずWTO違反だらけの今の状況では難しいが、可能性はある。

結果としてアメリカ包囲網になってしまったと言うこの情けなさは、堪らない。


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今年の高松の池は氷結する場所がかなり違う。東側に開氷面が出来ている。たぶんなのだが風向きの問題だろう。例年は西風が強く吹いて、池の表面に出来た氷が破れて東側に寄せて集まるから東側が凍るのが早かったのだろう。ほんのわずかで事象が変わるものだと。



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今日は自動車の免許書き換えに行ってきた。システムが変わっていてビックリ。ICカードなんだね。写真撮影も大日本印刷の技術かぁ。毎度思うが5年にいっぺんだと浦島太郎感覚になる。優良免許講習会場を見わたして気がついたのは、どうもこの会場に居るのは盛岡の繁華街の一角を切り取った人種では無いと言うことだ。まずペーパードライバーが多い。そして20台前半は居ない、まあ更新規定でそうなるのだが、男性で筋肉質はいるが、いわゆる肥満はとても少ない。そして15分のビデオで居眠りする人も居ない。少し変な空間だった。

新しい免許証が出て来て、平成35年有効の文字にすこし驚いた。平成の元号が来年の1月1日で代わる可能性がある。いまある話では平成31年の5月で元号が代わると言うのもある。そう、天皇の生前退位が実現するからなのだが、存在しない元号年を書かざるを得ないと言うのも、まあ法だから仕方がないです。

でも違和感がある。何か自分の免許証がパラレルワールドの住民であるような感じがあるのだ。無いはずの未来がある。

もしかすると、天皇制そのものがパラレルワールドだから、現世にあわせると矛盾が起きるのだろうな。そう考えておこう。そもそも平成35年まで生き残れる可能性は少ないしな。
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あしたの名前をどうする

2018/02/02 23:33
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長年お世話になった岩手大学前のサンクスが、ファミマに改装されると言うことで閉店になった。

今まで有難うございました。本当にオーナーと店長が良ければ良い店になるというのがコンビニですが、いい店でした。まあそのまんま移行するから大丈夫ですね。


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問題は、この店をどう呼ぶべきかだ。以前はガンクスで通っていた。今後はどうなるのだろう。ガミマ?
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冬休みの課題図書に「忘れられた巨人」はどうですか?私的メ2

2018/02/02 03:58
結局冬休み課題図書には間に合わなかった、後半の人物については遅れてしまってタイトルとずれまくってしまった。だがまあいいいや。という事で登場人物紹介です。重層性がたまらんですね。

登場人物

アクスル
この本の主人公。ブリトン人。アーサー王の部下で、円卓の騎士ではないがとても上位にいた騎士だが、どちらかといえば官僚。アーサー王の命で支配下における法の支配を完成させる事業をおこなっていたが、なぜかアーサー王はその完成を快く思っていなかった。アクスルに内緒で戦争を初めて、支配下のサクソン人の大虐殺を行う。その行為を王に向って面罵できるほど、上位の騎士だった。
だがその記憶も、どこで妻と会ったかも、一体何で横穴式の共同住居の端っこで、ロウソクを禁止されたのかも覚えていない。息子がいたのは知っていたが、顔を思い出せない。なぜ息子が出て行ったのかも思いだせない。

ベアトリスが誰かからろうそくを貰ったのが騒動になって、何故ろうそくが禁止になったのかも思い出せないのに、そして誰もが禁止された理由を憶えていないことをきっかけとして、ベアトリスがかつて提案していた息子に会う旅に出かける。そこから記憶が少しづつよみがえり、雌竜が倒される現場に立合う。

なお雌竜に最も近づいた時点で、ベアトリスに引っ張られるようにアクスルは子どもの要求を呑んで毒山羊を巨人のケルンに連れて行く。そこの逡巡が、とても男性だ。たしかに雌竜をつくったアーサーを非難して一般人になったが、記憶がなくともぼんやりとその結果は間違いがなかったとも思っているし、間違いの元凶をみたいとも思わない。いまはベアトリスをどう休ませるかだけで、その為には息子に会いに行くと言う合理的な目的をいいだしたりするのだが、ベアトリスの意志に負けてしまう。だが負けてしまっても、やはり逡巡し続けるのだ。


ベアトリス
アクスルの妻。アクスル同様記憶が曖昧。サクソン人。虐殺の際の生き残りと思われる。アクスルとの出会いと思われる花の名前のシーンなど自然に詳しく、サクソン語が堪能とか、住居の風を避けるための覆いの飾りとか、修道院の脱出以降死んだ赤子の幻影をやたら見るとか、ものすごく一杯サクソン人だという証拠が出ているのにもかかわらず、読んでいると見逃してしまう。

ベアトリスはさまよう老婆のひとりから島の話を聴き、記憶があいまいなこの世界の秘密の一端を聞く。そして体調が思わしくない。はたして私達夫婦は何だったのだろうと疑問に思う。そこで息子がいたが、何故か出て行ってしまった。その息子を訪ねに旅にでようと思った。彼女にとっては切っ掛けはなんでもよかったのだ。

それは御伽噺のなんでも知りたがる女性の姿なのかも知れない。

だが旅を続け、ジョナス神父からの診断は死に至る病であると言われる。個々の描写はパニックに陥ったアクスルの発言でしか無いから、分からないが、これ以降の描写はそう行った流れになっている。

ジョナス神父の診断以降は、ベアトリスは弱っていても積極的に真実に向かおうとする。妖精に慰められても、目的地に近付けば近づくほど執念のように求めて行く。

なおこの小説で考えられるアクスルとベアトリスの因縁は、互いになに人かというのを考えない状態で引き合って結婚した。そうアクスルは平和だった時代には憧れの存在だったのだ。法の番人であり調停者で、柔和であり、ブリトン人とサクソン人を結び付けていた。虐殺の記憶を失っていたベアトリスは、あの平和だった時代の象徴のアクスルに恋をした。虐殺以降でもその記憶はあったのだろう。
アーサー王か円卓の騎士がいた可能性のある、二人の結婚式の緑のコートは、たぶん異教的であると、誰かが捨てさせたものなのだろう。
だが結婚して互いに農村の生活の中で子供が出来て、うまく行っているようにみえたが、アクスルが浮気。さみしさに耐えかねたベアトリスも浮気。その険悪な生活に息子は家を出て行く。そのさなかに、火事をおこしてしまう。これが原因でロウソクがとりあげられ、住居も外れになってしまうのだ。そんな事すらも、誰もが忘れている。蝋燭の取り上げは掟になって、原因は誰も分からない。

ベアトリスは、死ぬ前に息子に会いたかっただけだった。それが大きな冒険になってしまう。そのなかでふたりの愛はどの程度なのかとか、本当の私は誰だったのかと言う疑問がふくらむ。雌竜にもっとも近づいたときには、ベアトリスが主導する程だ。真実を知れば不幸になる可能性がある。それでも突き進んでゆくのは、うっすらと自分がサクソン人だと分かりつつあったからだろう。

灰色の髪の兵士
この小説で、髪の色が言及されているのは3人。一人はアクスルとベアトリスの村にいた親切な赤毛の女性。そしてこの灰色の紙の戦士とベアトリスだ。共に灰色の髪をしている。
ピストルが出たら発砲されなければいけないと、どこかの戯曲家が言っていたと思うが、彼が出た時点で、多分これはアクスルとベアトリスの息子なのだ。もちろんそれ以外もこの小説の解釈ではありえる。

だが息子かもしれない人の死を見たのだ。そしてそれは修道院にゆく前の出来事だった。

記憶がよみがえってから息子の事を思い出しただろう。顔や姿を。だがこの小説の中では全くそのことには触れられていない。

エドウィン
どうしても日本のGパンメーカーを思い出させる名前。「江戸に勝つ」なのだが。この小説の中で、話を駆動させる存在。サクソン人。アクスルとベアトリスの隣りのサクソン人の村に住んでいる。母親はどうも行方不明で、伯母に育てられている。思春期まっさかりで、以前放置プレイをされている女性を助けた事があったが、それと母の記憶が混在していて、それでいて勃起するという、まあ健全かな?

鬼に攫われるが、その豪胆さを鬼に認められて子供の竜につつかれて雌竜と交信できるようになる。結果雌竜の子どもであり実際の母親が誰かに連れ去られて辱めを受けているという妄想とが混ざってしまって、彼の母親はどうだったのかと言う記憶が曖昧なまま小説はつづく。なので伯母は本当に伯母なのかというのがよく分からない。

サクソン人の戦士に助けられたが、子どもの竜に傷付けられた傷を鬼に噛まれた痕で、この子も鬼になると村で恐れられ、どうなるのか分からないところを村長と戦士とアクスルで話しが決まって、この子を遠い所で育てて貰うとなる。そこまではよくある子供なのだが、戦士も騎士も修道士ジョナスもこの子が現れたことで起きることを予感している。

囚われの雌竜を解放する者を自然界は求めていた。探索のために鬼が居た。それが遂に見つけられたから、竜の刻印をいれられたのだ。つまり自然が人間に、この状態の解消を与えたのだ。この子を辿ってゆけば、だれもが雌竜の居場所をつきとめられるし、この子が大きくなった時には戦士として確実に忘却のシステムを破壊できるだろう。

だがエドウィンは思春期に入ったばかりの子どもだ。まだ何もできない。その自覚はある。
どこかに居なくなった母と雌竜の導きで記憶が曖昧になる中、母を助けられない自分と、戦士への憧れと、いつかはああなりたいと言う希望と、戦士を利用したい思惑とが交錯する。

つまり焦っているのだ。そしてこの小説では、竜に突かれて以降の彼しかいない。エドウィンは将来サクソン人にとって英雄になる事が確実な存在だが、アクスルとベアトリスとの出逢い、そして戦士ウィスタンがブリトン人との間で育ったサクソン人と言う事で、民族融和の僅かな希望がある。

だが、その希望は微かでしかない。それはいまのイギリスの問題に繋がるのだ。アイルランド問題だ。


戦士ウィスタン
遙か東のサクソン人の国から、雌竜を倒す為にやって来た。ブリトン人の国で生れ育ち、戦士として育成されたが強過ぎて、共に育成されていた領主の息子から疎まれて周囲から疎外されて国を出る。放浪の末に東のサクソン人の国に辿り着いた、サクソン人。魔法の影響の少ない其の国で、自身がサクソン人という事で差別を受けていたのでは無いのかと考えている。

その国では雌竜を倒すために以前から人を派遣していたフシがあり、うまく行かなかったが、魔に強いということで抜擢されている。その使命は雌竜を殺す事で忘れさられていた、ブリトン人の国の中に住むサクソン人に虐殺された記憶を蘇らせ、ブリトン人にかつてのサクソン人の手強さを思い出させる。国内で対立するようになったころに、遠い東の国から戦争を起こすことで、内部から崩壊させようと言う考えだ。

とはいえこの戦士、やることが全部派手。たどり着いた村で子供が鬼にさらわれたというのを聞いて、すかさず救助に行くとか、敵であるグェリンの前で剣技を見せたり、修道院の構造がかつてのサクソン人の砦だった事を見抜いたが、それが本当にどうなのかワクワクして準備して、使ってしまう。

まあファンタジーだからね。でも彼の使命は、新たな戦争と虐殺を生み出す為にある。その苦悩はある。それは雌竜を倒したあとに、自分は弱いと言うところにある。ブリトン人にも良い人がいるのは知っている。だから憎み切れない。特にアクスルとベアトリスと出会って、そして賢人ジョナスのような人物と会って、知ってしまったのだろう。そしてアクスルは魔法以前の、あの法による支配を確立しようとしていた、憧れの存在だった。

自分の弱さに気が付いた戦士は、後継者であるエドウィンに「ブリトン人を憎め」と誓わせる。

それは次の時代にある戦乱への心構えでもある。だが戦士の懊悩はウエスタンに伝わらずに、純粋に憎む事しか継承されない。戦士もそれを分かっている。真の戦士とは躊躇しない事だからだ。憎しみというのはきっかけでしか無い。だがそれが深ければ深いほどさらなる業が産まれる。

グェリンと戦士のやり取りは見事だ。闘う意味すらも忘れてしまう。もちろん老齢のグェリンにとっては分が悪すぎる。だがグェリンは雌竜の守りに飽きている。そう、闘いたいのだ。どちらが正しいのかではない。自分が強いのは分かっている。だがもっと強いのが居たら戦いたくなるのだ。互いの剣の使い方にイロイロ言う儀礼的な所も含めて、戦士はずっとワクワクした冒険を続けている。そこにはブリトン人だったサクソンジンとして、過去のサクソン人がどうだったかと言う確認がある。そう、使命の意味を忘れていたのだ。グェリンも忘れてしまって居たのだ。

問題の解決より、目先のワクワクと言ういかにも男性。

賢人ジョナス神父
実はとってもめんどくさい。システムのど真ん中の人だがそれに反対しつつも、苦行をして病に倒れている。そしてなのだが、雌竜が倒される時には何があるのかを知っているのだ。それは修道院の中でもそうだし、騎士グェリンも戦士ウィスタンも、もしかするとアクスルとベアトリスが最初の村で出会った長老アイバーもうっすらとわかっていたかもしれない。それがなぜ誰も分からないのかと言えば、統治者の問題となる。問題が大きくなることが分かっていても継続しなければいけないという問題なのだ。

ジョナスは偽善だと思っても苦行を行なったし、その意味が分かっていた。いつかは破綻するのだと。しかしこれ以外彼らは出来ないのだ。

この物語には人が良かれと思った事が悪事を招くと言う、ローマ時代からある格言があるように思える。この場合は忘却の魔法で矛盾ばかり起きてしまう。そしてそれがわかっていても修道院では体制維持派と破綻受け入れ派に別れて議論がおきる。だが結果として雌竜への餌やりをサボタージュすると言う方向にある。つまり雌竜が死ねばことは収まるのだ。そういった消極的な方法が考えられていた。
名前だけの登場人物ブロンウェンは孤児になった子供たちに毒山羊を作らせるが、それは飢えた雌竜を生かす為のシステムに、今のテロリズムの様な、安全なところから爆弾テロを指示する人たちとたいして変わらない。多分なのだが修道院の中の過激派なのだろう。だが鬼を殺す毒山羊だが、雌竜を誘き寄せて人を食べさせていたのでは無いのか?だから子どもたちは、アクスルとベアトリスに向かわせたのでは無いのか?そういった疑問も出てくる。

この修道院のくだりでは、不作為が語られる。神に祈るばかりで現実への対処をしようとしない人たちなのだ。賢人ジョナスですら、分かっていてもできなかった。ただこのシステムの破たんがエドウィンの出現で確定したから協力するが、それ以前には苦行のみで解決しようとしていた。

世界が破綻するかも知れないといわれつつも、したふりをする大富豪達や、宗教の腐敗だけでは無い。貧困の問題や、地球温暖化の不作為が思い浮かぶ。

悲劇というのはそういったところから起こる。
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なかなか寒波が出てゆきません

2018/02/02 03:53
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今朝は-11度になった。今回は盛岡らしく空が晴れて地表の熱を奪う、放射冷却現象が起きたためと思う。ただ寝る前に水道管の電熱線のスイッチを入れるのを忘れていて、水道管が凍結していた。慌ててスイッチを入れたら、10分後には水が出た。

水道管の電熱線と言ってわかる人が世の中にどの程度いるのだろうか。寒い地方では水道管が凍結するので、凍結防止の為に水道管の中の水を抜く作業をするか、電熱線を巻いて気温4度以下になったら自動でスイッチが入って加温するかどちらかだ。盛岡の場合日中も厳しく寒い事があるので電熱線を使う場合が多い。だが、もう一つひねくれた理由で電熱線が使われる。

水道管は必ず凍結すると、決めかかっていた。なので断熱材が当たり前になった時代でも、破裂する可能性のある水道管を家の中に直接引き込む事は条例で禁止されていたのだ。なので築30年以上の家では水道管が屋外にむき出しになっているのだ。こんなアホな条例は今はないが、水道局と水道屋が癒着していたからだと言われていた。青森市や秋田市でも外に水道管がむき出しで出ている家はほとんど無かったと思う。あるとすれば本当に古い家になる。

30年前だが住んでいた貸間には小さな台所があった。2階だったので水道管の長さも6メータはあっただろうか。厳冬期には30分も放置すると水道管からシャーベットが出て来たものだった。電熱線も寿命が10年くらいなので、古くなって効かなくなっていたのも大きかった。本当にしょっちゅう水抜きしないと簡単に凍結した。

不思議なことにこの電熱線の外側をおおう断熱材が進歩していない。難燃性の発泡素材でアルミ蒸着すればもっと効率が良くなるはずだ。だが売られているものをみれば発泡スチロールの丸い物と巻きつけるテープで、難燃性とは言えない。それならわが家のキャンピングマットを切って巻きつけたもののほうが熱効率がいい。



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31日は皆既月食があるようだ。残念ながら仕事でいないし、天気予報は曇りだ。今からあきらめておこう。

アメリカのグッケンハイム美術館が素晴らしいユーモアーを発表した。トランプさんがホワイトハウスを飾るために、ゴッホの1888年の作品「雪のある風景」の借用を電子メールで申し出たという。やんわりと断って代わりに提案したのが、イタリアの美術家マウリツィオ・カテラン氏の作品「アメリカ」。2016年の9月15日からグッケンハイム美術館で展示されている。

で、この作品は18金のトイレなのだ。「カテランは「アメリカン・ドリーム」というコンセプトに着想を得て、作品名を「アメリカ」と名付けた。黄金製の便器でも、一般の便器と機能は同じ。貧富の別なくすべての来館者にこの便器を使う権利がある──「アメリカ」にはそんな意味が込められている。」

大富豪のアメリカ大統領のトイレになってしまうと、コンセプトに矛盾が起きてしまう。だがグッケンハイム美術館に本当の貧民が来るわけでもなく、このコンセプチャルアートの意味合いはそもそもの問題があるわけだ。だがゴッホの絵はトランプさんの居住区にかけられる予定だったが、このトイレを受け入れたら、コンセプトにもっとも近い、ホワイトハウス職員や見学者が一番使うトイレに設置しなければいけなくなる。居住区のトイレに置いたらコンセプトに反するとクレームが来る代物だ。おまけにその重量から設置するためにトイレの補強工事が必要になるだろう。トランプさんが受け入れないのは正しい。

しかしこのクスクス感がたまらん話だ。


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トランプさんといえば、大統領専用機を廃止して自分の個人用のジェット機を使うと公約していたのだが、現実的に対ミサイル用のレーダーを備えるとか、暗号通信とか核ミサイル発射ボタンの問題とか諸々でだ許しているようだ。本当は新造した方がいいのだが、経費削減を行ったからには不可能になっている。

このエアフォースワンには冷蔵庫が5つある。そのうち二つを入れ替えることになった。その価格2360万ドル。オーダーメードの冷蔵庫なのだから仕方がない。だが少し変だ。飛行機になんで長期間食品を保存しなければいけないのか?もちろん突発的な事象があることを想定して常に一定の食糧を保管しているのだろう。

だが2360万ドルの価格は破格だ。そして5箇所の冷蔵庫と言うのは何か不思議な感じがする。多分なのだが大統領専用機は、戦死者を運ぶことにも使われているのでは無いのかと思う。その為の大型冷蔵庫が有るのだろう。気圧変化と気温変化の大きい貨物室に遺体をを載せるのは、のちに検証する際に問題になるだろうし、故人に対してどうなのかというのは大きい。

ただこれは私の勝手な想像なのだ。だが2基で2360万ドルの冷蔵庫と言うのはどんなものなのだろうか。

河野外務大臣がいう、外務大臣専用機とか首相専用機とかにはこう言った設備はあるのだろうか。
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