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雪道ではどっちが歩きやすいのか。圧雪とフカ雪

2017/12/13 21:18
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昨日はお昼に手で除雪をした。そのときにはクルマの轍にはさまれたフカフカの雪には人の足跡とか圧雪がほとんど発見出来なかった。そこから夜半に5センチ雪が降った。それを今朝8時半にもう一度町内除雪を手でやった所、変なことが起きた。

クルマ一台が通れる道なので、大体真ん中はフカフカが維持されている。それが圧雪になっているのだ。クルマではなく微妙な圧雪なのだ。ポリカーボネートのスコップでは圧雪はとりにくい。この微妙な圧雪は何か微妙。時間が少ないので検証し切らなかったが、どうも人の歩き方のようだ。

太陽が出ている時間帯は、人はクルマの轍を步く。目で確認できるからだ。そして靴やズボンの汚れをさけられる。だが暗くなるとくるまの轍は凍って滑る安くなる。そこで比較的滑りにくそうなフカフカの雪を選択していると考えられる。

それでは街灯の設置状況だが、多分これも一致している。それは以前から感じていた事なのだが、街灯が少ないところ程、道の真ん中の圧雪が強くでる。

つまり人は転ばないように慎重に歩きかたを、実は考えている。

だがこれってあたりまえに生活していたんだなぁ。

一応きれいに説明が出来る仮設だが、山形主審者に聴いてもそうだった。本来は圧雪の足跡の検証は箒で履けば出来ることなのだが、そこまではできない。雪が降るからだ。
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大雪でした

2017/12/13 00:28
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夜半からかなり雪が降って、10センチまでふった。町内の雪掻きをして、泳ぎに行く。2000メ〜タほど泳いでクタクタになる。そしてこの前の定期演奏会について、奏者をつかまえてインタビュー。なんとやっぱり自分の仕事に一生懸命で指揮者をあんまりみていなかったと言う。まあそうだよなぁ。本当に。

あのひといた意味があったのかなぁ。声うるさいし。

今喫茶響にかつてのBBC小型モニターがkef LS3/5a が置いてある。で、私のB・I・C AmericaのDV62siもある。たぶんこの後フォステクスのGXシリーズの古いものが来ると思う。ちっちゃいのとアルテックやタンノイのデカイのとの聴き比べというのもあるのだが、一番面白いのは小型モニタースピーカ〜も、場所を得られれば力があるものだとよく分かった。
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ショスタコーヴィッチの交響曲5番って

2017/12/11 02:24
以前書いたと思うが、岩手大学管弦楽団の定期演奏会を聞いてきた。何しろショスタコーヴィッチの交響曲5番革命をやると言うから、まあどうなるかだ。このアマオケには明らかに荷が重い曲だ。もうボロボロになるかと思っていたら、思っていたよりよく出来ていた。現実にはミスだらけだったのだが、それでもやっぱりこの曲は凄いなと思った。

何しろスターリンをだまさなければいけないのだから、その力技は凄い。交響曲4番を急遽直してつくったと思われるのだが、ハデな展開は何かその後のハリウッドの映画音楽を思わせるところもある。もちろん1936年の作曲なので、この曲がハリウッドに影響した可能性はあるが、アメリカのポピュラー音楽を研究していた事もあるショスタコ〜ヴィッチだから、何かそういったハデな展開には慣れていたのかも知れない。

カルメンの引用たっぷりだし。思えばコンチェルトグロッソだし。

ショスタコーヴィチの交響曲の中で、一番素直なのが5番なのだが、実は捻くれ方が一番ひどいのかもしれない。それでも感動させる音楽を作ったのだから、天才なのだろう。

今回のコンサートで、指揮者に殺意を覚えた。理由はあなたの唄はうるさい!本当にうるさい。もしかするとお客さんで大声で歌っている人がいたのかも知れないが、ほんとうにうるさかった。

だいたいあのチェロ10本とコントラバス6本てなに?チューバより効かないコントラバス6本てなに?

でもこのオケほんとうに進化した。ほんとうにそう思った。
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ポストモダンの終焉

2017/12/10 02:29
ポストモダン理論、特に中回帰説はとても有効だった。実際マーケティングなどでは行動分析を通じてポストモダン理論を使って行われてきた。人は熱し易く冷め易い、それを理屈でまとめただけなのだが、消費文化社会の中では有効な手法だった。1980年代から始って、2010年までは有効だったろう。

だがマーケッティングが精密化し、ビックデーターに近い物まで扱い始めるようになると、こんどは精密過ぎてマーケッティングの意味が薄らいで来た。そして人は消費では無いものを求め始めた。

物語なのだ。だがその物語も小さな物語として作用してゆくには問題は無かった。それがインターネット時代から揺らぎ始めて行く。

その前に消費文化に物語を求める傾向は80年代からあった。セゾン文化なんかそうだろう。ただそのハイカルチャ〜からの流出からどんどんレベルが下がって行く。顔の見える農産物と言うのは確かに物語の付随した消費だが、その裏には流通への不信がある。その不信感を越えるべく、マンションの販売コピーはなにを言いたいんだかよく分からないポエムかして行く。耐震偽装問題や建築違反の例が出るにしたがって、さらに意味不明になってゆく。

人びとは情報を求めてインターネットに集まり、とはいっても膨大すぎる情報の中からまとめ記事や人気のあるブログや記事を集めるしか無い。いや、もっとしつこく情報を集める人も居るだろう。ツイッターなどのソーシャルネットワークが情報蒐集を簡便化したともいえる。だがそこには問題がある。それは人のもともとの問題なのだ。

人は自分の聞きたいものしか聞かない。

そして人は大きな物語を捏造しつつある。それが今回のトランプさんのイスラエルのエルサレム首都発言である。カルト的だとしか言いようの無い福音派の考えに基づくこの決定は、「本当の大きな物語」を無視したものだ。その意味ではブリグリジットも、カタルーニャ独立も、洞察の無い薄っぺらさがある。ISもそうだ。今の中国も香港も、日本も韓国も、薄っぺらい真実がまかり通っている。

オバマ前大統領がシカゴで演説した。CNNだ。「米国のオバマ前大統領は9日までに、米国の有権者に対し民主主義への参加の継続を促し、自己満足はナチス・ドイツの隆盛をもたらしたと警告した。」

だが民主主義は富裕層に乗っ取られ、われわれには有効に繋がらないと諦めて、ネットで情報を検索している人の方が多い。リアルなシステムの可能性を試そうとせずに批判する。理由はめんどくさいし煩雑だからだ。逆にリアルのめんどくささが、わたしの物語を妨害している、そう考えさせる。

富の偏在が消費文化を殺しつつある。今起きていることのほとんどは、ゆがんだ大きな物語の復活で、原因は富の偏在だ。民主主義国家で顕著なのは、これが理由だろう。そして一神教の悪いところがでている。神が再臨した時に、神から祝福されているというもっとも理想を考えられなくなっている。彼らはアルマゲドンが来ることしか考えていない。

もう一度いう。人は自分の見たい物しか見ない。

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ああ、アメリカよ

2017/12/07 03:33
トランプさんは大統領選に出るときの公約に、エルサレムにアメリカ大使館を移設するといっていた。真面目にバカだと思ったし、絶対やらないだろうと思っていたら。ついに演説で発表してしまった。しかもだ、一昨日まで政府から報道機関まで否定していたのにだ。日経平均はおかげで500円下がった。石油先物は観ていないがどうなるのだろうか。

しかしだ、10ヶ月前とは比べ物にならない程様変わりした中東情勢を前にして、この決断だ。

たしかにシリアとイラクは落ち着きを取り戻しつつある。だが内戦状態だった時に比べればで、まだ継続している方。クルド人問題も中心人物の一人が死去、そして大統領が辞任で、独立問題は振り出しに戻った感がある。そしてトランプさんがこの問題に余りにも無知なので、クルド人から恨みを買う可能性すらある。

サウジアラビアは皇太子が、その前から実質的に権力者だったムハンマド・ビン・サルマンに突然交代。彼の石油依存からの経済脱却活動は以前からだったが、反汚職や宗教警察(勧善懲悪委員会)の逮捕権限を剥奪、女性の権利を徐々に押し広げて行こうとする態度は好感がもてる。だが彼こそはイエメン内戦にサウジアラビア軍を投入した、本人なのだ。その内戦のシーア派の武装組織フーシーはイランの援助でこうなったのだと、自国のアルカイダを育成した事を棚に上げての戦争だ。積み上がっていた国家準備金をとりくづして公務員給与を下げてしまうほどの戦争になってしまった。そしてスカッドミサイルを2発も撃ち込まれてしまった。で、アメリカご自慢のPAC3迎撃ミサイルシステムは、実は有効に働かなかったという話まででている。まあ、これは蛇足だ。

で、トランプさんイランとサウジアラビアの間を取り持とうとしていなかったフシがあって、サウジアラビアにフリーハンドを与えてしまったようなのだ。そこでレバノンに手を突っ込んだ。

流石にこれはやり過ぎだろう。レバノンのハリリ首相がサウジアラビア訪問中に辞任を表明。レバノンはイスラエルの隣の地中海国家。古い土地には複雑な宗教問題が横たわっている。キリスト教でもマロン・正教・カソリック・プロテスタント、イスラムもスンニとシーアとアラヴィー教とドルーズ教、ユダヤ教もいる。人種も多用だはずなのだが、あまりここは言われていない。そこにパレスチナ紛争で難民が入った。ついでにパレスチナ解放機構が避難して来て、宗教構成が崩壊。宗教と人口で議席数を決めましょうと言う議会制度が崩壊して、内戦に突入した。それをアメリカやソ連やシリアやイランが手をつこんだからさらにややこしくなる。お陰でシーア派の過激派のヒズボラやフーシーが表で政治活動できる国になっている。

しかしハリリ首相はレバノンに帰国して、辞任を撤回。そのなかでイエメンのサレハ前大統領が暗殺される。実行したのはフーシーといわれている。サレハ前大統領は連合軍との関係改善を訴え、フーシ派との連携解消を発表した直後の話だった。

そしてなのだが、大問題のイスラエルがだ、ロシア・ウクライナ問題やシリア問題でさらにユダヤ人が流入している。91年のソ連崩壊以降かなり増えている。OECDの調査で13年に貧困率31%であったということは、その後の難民の流入(ユダヤ教徒以外は国内で保護されないにしても)、かなり厳しいものがある。この意味でイスラエルがパレスチナ問題に向き合う事も考えられない。

パレスチナ自治政府が独立後エルサレムを首都にすると宣言しているかどうかは、問題では無い。

いつでも不安定な土地に、戦争で荒廃して難民だらけの土地に、宗教と言う爆弾を投げるのは何故なのか。

報道のなかでへんなのがあった。1995年にイスラエル大使館をエルサレムに移転する法案が通っている。その後の政権は全てこの法に対して半年おきに判断を迫られるのだ。だが何故95年なのだ?

ビル・クリントン政権下でオスロ合意に至った、パレスチナ自治政府を認めるというあの合意から1年後だ。ただそれでも法には「分裂していないエルサレム」という文言が盛り込まれていた。これは議会の良識だろう。現実にオスロ合意は破綻して、インティファーダを招いた。現実的にあり得ない法律だった。だがアメリカの考える中東和平という形が見えた。

何故あり得ない法律がアメリカにあるのかだ。

白人の清教徒たちがアメリカに向かったとき、神から約束された土地、と言われていた。穢れたヨーロッパではなく、神から約束された土地だった。最初は先住民族と仲良くやったが成功するにしたがって、考えは逆転して、神から約束された土地に異教徒が居るのはおかしい、そうなる。まあそこで気が付けよと言いたいのだが、彼らは実行にうつしてしまう。改宗か虐殺だ。まだそれはいい。だまして虐殺とかまで行く。ひさしを貸して母屋をとられた先週民族はアメリカ人が好まない所にひきこもって難を逃れた。イヌイットは分断され骨抜きにされてしまった。

この成功例をもとにメキシコからカルフォルニアを奪い取ったのはその後の話だ。

だが彼らの成功体験は神話をもたらした。神から与えられた土地に住むわれわれは神に愛されている。この物凄い多幸感、増長としか言いようの無い多幸感。

このためにはキリストの再臨に備えなければいけない。その為には、キリストが生まれたのと同じ条件でユダヤ国家が必要だ。そてはイスラエルであってほかはない。そして聖誕は分からなくとも、エルサレムには確実に表れる筈だ。だからアメリカの大使館はエルサレムに無ければいけない、と妙に科學的な根拠で動く人達がいる。

そしてなのだが、アメリカの多幸感は長く続かなかった。彼等は賢すぎた。賢く作りすぎた自動車や電化製品は、人をバカにしていた。そこをすくわれてしまったのだ。

もっと賢いアメリカ人は、違う事を考えていた。神から愛された土地に産まれた神から愛された私達は誰が一番神から愛されたのか、それってお金だよね。神から与えられた才能は存分に発揮しなければね!だったら製造業では無くて金融や不動産だよね、起業するのも良いし、起業に投資するのはもっとエキサイティングだよね。世界を幸せにするんだもの、お金も受けてもバチ当たらないでしょう?

だが神から愛されているはずの、才能もなければ金もない人達にとっては、この指標はなんともいえないわけだ。大体にコネだろう。そう言いたくなる。あの多幸感を取り戻したくとももう帰ってこないことは分かっている。

破滅を彼等は願っている。アルマゲドンがあらわれたらすべては公正に評価されるのだ。その時を速めたい。

戯言のように語ってきたが、トランプさん以前からこの法があるというのが本質的に問題だ。そしてトランプさんが公約で語った時点で、この法の改正を議会が改正しなかったと言うのは問題になるのだろう。かつてはそういった圧力に対して抜け道を用意していた巧妙な法だが、それを破ったと言うことは、アメリカが破滅を願っているのだ、そうとしか言えない。アルマゲドンをねがっているのだ。

トランプさんは御使のラッパを吹いた気分だろうが、それは地獄の釜を開けただけだ。

それをアメリカ人の30%はわかっていない。そしてそれを世界中がわかってもらいたいのだ。それはラクダが針の穴から抜ける程に難しい、

異端的な狂信だ。前から思っていたのだが、ISISとアメリカの違いを心情背景から正確に分けることができるのかと言うのはあって、たぶんこれだ。その意味では北朝鮮とアメリカの30%は同じなのだろう。

生きているうちにアメリカの決定的な凋落を見ることはないだろうと思ったいたのだが、この悪手中の悪手を、国内事情で叩き出すとは。

PSレバノンはその国の履歴から、世界で最も重要な中東情勢の情報源になっている。そこを失う可能性のある決断は、問題だ。何も考えずに手をつっこんだ以上に危ういものがある。
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冬休みの課題図書に「忘れられた巨人」はどうですか?私的メモ1

2017/12/06 03:06
カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」はかなり厄介な本だ。彼の今までのテクニックを総動員したファンタジーというだけでやっかいなのだ。記憶、そしてその曖昧さと錯誤、固執や偏執、それでいながら世界が崩壊するその過程でもある。そしてなのだが、他民族が身近に居ない日本人にはかなり厄介だと思う。ただ構造はある。そこだけはなんとかなりそうだ。逆に彼の本でこれだけは出来るのだ。あのラストの衝撃は凄いから読んで貰いたい本なのだが、まあアレは凄まじすぎて、私なんぞは助けにならないのだが、それでもこの本は凄いので書いている。実はまだ、この分析は終っていない。

と言う事ではじめましょう。


カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」はボスニアヘルツェゴビナ紛争に着想を得たものと本人が言っている。ただこの地域は歴史に翻弄された地域でもあって、一筋縄ではいかない。
旧ユーゴスラビアは7世紀頃から南スラヴ人の土地になった。東ローマ帝国の衰退がきっかけだった。だが小国に分かれて戦乱が絶えない土地で、これまた一言では言えない。15世紀にトルコが進出して、この地域を平定する。この時キリスト教徒は啓典の民ということで人頭税を払えば宗教は認められたが、土着の宗教の人はイスラムに改宗された。その後も圧政によりキリスト教徒からイスラムへの改宗が勧められた。まあその前にキリスト教徒の若者からイエリチェリニ軍団に徴兵されて改宗させられるとか強制的な改宗もある。

主な民族はセルビア、クロアチア人、この二つはユーゴスラビアの7世紀からの民族になり、ボシャニャク人はどちらかといえば改宗したイスラム教徒を指す言葉になっており、7世紀以前の土着人とも言える。モンテネグロ人は古代からいたと言われている。スロヴェニア・マケドニア人についてわたしはよくわからない。ただ歴史的に重層的で各民族が王国を作っていたり、提携していたりと複雑になっているようだ。多分この地帯の歴史を完璧に言えるようになるためには一生が必要になるかもしれない。

その上地中海交易基地として沿岸にヴェネチアやジェノヴァ人が植民地を持っていた。クロアチア人はハンガリーと提携にあったりする。これがトルコが衰退する過程で、オーストリア・ハンガリー帝国の分割統治につながる。クリミア戦争は決定的だった。

第一次世界大戦がセルビア人の銃声から始まったのは、大帝国に挟まれたところから、均衡が崩れた事件だったが、その後にできたユーゴスラビア王国は、南スラヴ人の国家だったが、セルビア人主体の政体に反発したクロアチア人を、セルビア人が弾圧した。70万人が虐殺されたと言われている。

ユーゴスラビア王国は第二次世界大戦を経て、その間にクロアチア独立国というドイツ支援国家があったりしたが、チトーらのパルティザンの努力で分断国家にはならなかった。

めんどくさいことにチトーは社会主義なのに、アメリカから軍事支援を受けてしまったためにソ連の支援がない。このため社会主義でも共産主義でも資本主義でもない「自主管理社会主義」という、労働者が経営者を選ぶというシステムを構築する。非同盟諸国の盟主としてチトーは神格化される。

一つだけ、このユーゴスラビアの企業経営はとっても変な方向に進む。なぜかスポーツ施設に関してとってもいいものを作る会社が多い。それ以外にもなぜか写真フィルムに関しては今でも製造してくれているというウワサがある。
これは、家族経営が基本の企業が多いためと思われる。 自主管理社会主義というのは結果そうなるものなのだろう。

チトーの時代は民族紛争が起きなかった。ルーマニアのように秘密警察が暗躍した結果とは言われていない。なぜその後に民族紛争がおきたのか。書いたように火種しかない土地だが、なぜなのかはわからない。チトーのカリスマがすごかったのだと言われているし、資本分配が民族ごとに適切だったとか公平だったとかあるのかもしれない。汚職も少なかったのかもしれない。だから安定していたのかも知れない。なぜ安定していたのかと言うのはいまでもはっきりしていない。

民族主義国家になりきれなかったというのはあったかもしれない。大きかったのは、15世紀のトルコから受けた仕打ちであったかもしれない。モハメッド2世がコンスタンティノープル攻略の際にセルビアに要請した兵士を最前列につけた上に、攻略の後も他の戦場に引きずり回した。そうしてセルビアを弱体化して改宗を迫った。

紛争でセルビア人はイスラム教徒のボシャニャク人を虐殺した。500年前の恨みつらみなのだが、クロアチア人とも対立した。それは過去にセルビア人がクロアチア人を70万殺したというのがあったからだ。

ユーゴスラビア解体の際の様々な事件から全体を考えるのは難しく、歴史からも難しい。

なおカズオ・イシグロ氏は何故紛争や戦争で虐殺事件が起きるのかと言うのを、ほかの事例も研究していたと思われる。着想はボスニアヘルツェゴビナ紛争だったが、ここで書かれている内容は、単純ではない。


「忘れられた巨人」の構造

「忘れられた巨人」では記憶を曖昧にする雌竜という存在が重要だ。チトーをここに据えるのは読み方として危険だ。チトーはむしろ法での平等を目指したと思われるアクスルが当てはまる。むしろそんな事はありえないという前提で、雌竜という存在を描いたのだろう。それほどまでにチトーの存在は大きかった。

忘れさせる魔法を、今大々的に行っているのは中国共産党であり、その他の国家でも教育で行なっている。ネット社会でもフェイクニュースで混乱させる手法を使う。民族主義の恣意的な記憶操作というのは、日本でもありふれている。
そして人の記憶は曖昧で、立場によっては発言をころころ変えたり、必ずしも真実ではない。


この後、人名や言葉を羅列したい。

巨人の墓標・ケルン

これは曖昧にでてくるが巨大である。この意味は過去に戦場であった場所で、記憶をあいまいにする魔法から記憶を守るために作ったと考えるべきだろう。そのために作ったとすればそれは為政者が行ったことだ。この理由は雌竜が生きものであるからだ。魔法を存続させるためには雌竜が生きつづけなければいけない。その世話を忘れてはいけないのだ。
そしてこのシステムがあることを忘れると、支配が崩壊するのだ。



本来は疫病が起きたときに、死にそうな人を送る島なのだろう。そして死期を悟った人が送って貰う島なのだろう。島民は一杯いるが誰にも合わないというのはそう言ったことなのだろう。この為男女のみで一緒にゆくのは、共に死にそうな場合に限られている。このため愛の深さを図る試練がある。
舟は乗客1名で、ザビエル禿げの男が船頭だ。二人でて来るが、記憶が曖昧だった世界と明快になった世界で、同一人物かどうかは分からない。

超自然物、竜・鬼・妖精
自然と人間が対立する世界で、しかもキリスト教がはいった社会でもこの存在は信じられている。だがなぜそれが存在しているのかは明らかになっていないが、断片的な情報からこの物語では、今現在の状況に反対していると考えられる。

雌竜
じつは雌竜はそんなに恐ろしい存在ではない。地域最大の雌竜ですら選りすぐられた騎士と魔法使いでつかまえられて、祭壇に押し込められる存在だ。ただ雌竜はネットワークをもつようで、子どもの竜につつかれたものは雌竜と交流出来る。
なお雌竜が閉じこめられた祭壇は、周囲が焼け焦げて、なんども雷が落ちたようだと描かれる状態だった。この意味するところは示唆されていないのでなんとも言えないが、超自然か、誰かが雌竜の救出を試みていたと考えるべきだろう。


鬼はひとを攻撃して食べ物を奪い、子どもを攫うとされている。だが鬼は巨木の木霊の可能性がある。ウエスタンに直接関わる鬼は2匹で、雌竜の巣の近くの池で彼は幻視するのだがそれは3匹だ。可能性としては、もうひとつは、毒山羊を食べた鬼になる。
鬼の目標は雌竜の開放であって、魔法に閉ざされた雌竜を解放できるのは人でしかなく、子供を攫っては可能性のある子供に龍と交信できるようにする。だが人間の迷信でうまく行かない。
鬼が木霊であるとすれば、火は使えない訳で、それでは祭壇を焼いたのは誰なのかという事になるが、それはどこにも書いていない。


妖精
病気やけがなどで死にそうな人の苦痛を和らげる存在。ただ生け贄にうさぎが必要。というかうさぎが出てくるのがイマイチ分かんないんだけど。
超自然は間違いを正したいと考えていると、考えざるをえない。だがその超自然ですら解決できない。そして人に対しては生け贄を求める。人がねじれた存在であるという為なのだろうか。
でもなんでうさぎなのかな。よりによって老婆にすら捕まってしまう。
ねじれた世界で被害を一番受けているのが人だという事になるのかも知れない。その為の贄としてうさぎは用意されていたのかもしれない。


魔法に閉ざされた世界に人はいる。断片的な記憶しかもてない人と、確実な記憶を持った人が混在する。確実な記憶をもっているのは支配者であったが、それも分断化して、システムを維持できる組織しか存在しない。
そして東からは魔法の影響の無いサクソン人が次々と海を渡って来ている。

人種

ピクト人
一人しか登場しない。ブリトン人に制圧された民族。修道院から脱出したウエスタンを戦士へと導く。饒舌だったり無言だったりというのは、多分彼がピクト人のため。複雑なのだ。

ブリトン人
ローマ時代からいた民族。キリスト教徒である以外は、横穴式住居だ。だが穴を掘るのがどうも苦手。穴を掘るのに剣を使ったり、へんに格式張っている。アーサー王の時代にサクソン人を虐殺したが、魔法で国民にわすれさせた。


サクソン人
東の海からやってきた民族。キリスト教徒では無い。迷信深いとはいわれているが、実用的な薬学とかは持っているし、記述からいけば竪穴式住居をもっているし、じつは文明的である。上覚の作り方や剣の扱いでは近代的な記述になっている。
アーサー王の統治の範囲では忘却の魔法は効くが、端では効力が薄い。その上で東から更にやって来るのだから、限界がある。

アーサー王
伝説の人物であり、ローマ人以降イギリスを平定したブリトン人とされている。中世文学で脚色されて更によくわからない存在。サクソン人と対決したのが伝説。
この小説ではサクソン人との宥和政策を行いつつ、それを妨害するような行為をする複雑な為政者。最後には、増え続けるサクソン人を虐殺し、虐殺を忘れさせる魔法をつかう。
ただ自分の存在まで忘れられるとは思ってもみなかったろう。アーサー王の領土はいつのまにか分割されている。

アクスルの結婚式と思われるシーン、緑のコートがどうのというシーンで「こんな美しい」という人は、もしかするとアーサーなのかもしれない。自分の魔法による宥和政策が、自分の部下ですら起きたのだから、祝福しにきた可能性がある。

騎士グェリン
円卓の騎士のひとり。アーサー王の甥。大虐殺中に雌竜に魔法をかけるミッションをなし遂げる程の騎士。アーサー王から雌竜を守るミションを与えられた。年をとっても従者が居なくても一人で動けるほどの騎士。どうやって甲冑をぬいで用を足すのかわからない。大虐殺のなか敵陣中央に女性をつれて斬り込んで大将をたおしてしまう程の騎士。
で、雌竜を保護するために、雌竜を倒すミッションをもっているが、狡猾で難しいと言うウソを流して、その誹謗に耐えながら、自分を倒してくれる人が現れるのを待っている。で、現われたらそのワクワクがとまらない。そのせいか判断に矛盾がありすぎる。過剰な自意識とワクワクが物凄く判断を過たせる。なので、行動がとてもおかしい。
つまりホンモノの騎士なのだ。そしてシステムの中核。この2重性が堪らない人物。
わたしは騎士グェリンが大好きだ。

老婆
この解釈がこの物語を複雑にしている。老夫婦が島にともに渡ろうとしたが、船頭に一回に一人しか渡れないと言われて待つと、真に愛し合っている夫婦なら渡すがあなたは愛していなかった、だから島には渡せないと言われる。

はじめの老婆はその船頭をことばでなじりながら兎を殺していた。

グェリンは老婆を「後家ども」と言う。そしてこの後家は、なぜか竜の秘密を知っている。

そして川で出逢う老婆は、妖精に看取られようとしている。ただ彼女の舟の魚を入れる容器には生きたまま皮を剥かれた兎がいっぱいいるのだ。

たぶんこの老婆こそがこの小説の真骨頂なのだろう。

島は疫病などで本当に死にそうな人を送る島なのだろう。本来は大勢で野辺送りする。だが男女が二人だけで来た場合は、つまり道行の場合は、愛を確かめる儀式があったのだろう。基本的に心中は認められない。その意味で一人乗りの船なのかもしれない。ただ記憶が曖昧になってからその意味は忘れられてしまった。
そもそもの起源が失われ、伝説の島になった。

この老婆では3つのケースが考えられる。先ず本当に船頭に裏切られた女性だ。だが船頭は多分なのだが仕事として死にそうなひとを先に送ってしまう。そして儀式に乗っ取ってふたりを引きさく。そして次が愛しあったのだが渡って行く夫を見送って、気持ちが変わった場合。この場合は様々なケースがあって一つにはまとまり難いのだが、これが一番多いのではないのだろうか。もしかすると儀式は、だいたいこのためにあったのかもしれない。死にそうな人を送る時の儀式だった可能性がある。

そしてグエリンの言う後家なのだ。大虐殺の戦争で本当に後家になった女性、がこの伝説とその結果を信じてしまうのだ。

その世界ではどれが一番たしからしいだろうか。誰のせいにすれば良いのだろうか、誰が悪いのだろうか。悩む前に村に帰りたくとも、いや帰ったとしても忘れられている可能性がある。そして帰る村が思い出せない。
そして彼女らはさまようのだ。

さまよううちに彼女らは群をつくったり、はじかれたりしながら、伝説をひろげてゆく。

そのつじつまをあわせるためのウソを重ねあわせるうちに真実に近いところまで辿り着く。記憶は奪われていたのだ。

だが、彼女らには時間がない。死期が近づいている。その苦しみから逃れるために妖精へうさぎを捧げたりしているが、解決の方法は、雌竜が死ぬことでしかない。だがその先は彼女らは考えていない。

さてグエリンが後家というのは何故か。彼女らの多くがサクソン人だと考えた方がいい。アーサー王の戦争で虐殺が起きたが、殺されたのは男が多かったという事だ。なかにはブリトン人もいると思うが、この小説の世界ではキリスト教をあまり擁護していない。これは中世のキリスト教に作者が疑念を持っていたと思われる。


修道院
元サクソン人の城郭に修道院はある。この修道院はアーサー王無き世界で、竜にエサを与えたり、魔術で世界を抑えていることを贖罪する為に、鳥に身体をつつかせる儀式を行なっていた。更に竜に近づこうとした物を排斥してきた。
なお中世にはキリストの行なった断食や、ゴルゴダの丘に向かう前に鞭打たれた故事に習って鞭打ちの苦行とかがあった。鳥に身を捧げる苦行は聞いた事がないが、サクソン人の戦士からいわれるほどに、古くさい。つまり異教徒からみても異端な儀式であった。

だが修道院に黒い鳥が表れ、鳥の苦行は死を意味する程になった。このことから修道院でもこの自然に反する行は間違いなのではないのかと言う派と、継続するべきだと言う派にわかれている。修道院長は継続派で、反対派は賢人ヨナスの派閥だ。だが賢人ヨナスは病床にあって行動出来ないが、的確な指示で雌竜がたおされる道を作る。

これがこの物語の背景だ。
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宮澤賢治の「幻燈」の謎

2017/12/04 01:38
えっと、コレは最初にOCNブログに書いて、gooに移籍した物を転載したので、パクリに見えますけど、本人が移籍させたのですから、ご了承下さい。ちょっとだけ直しました。


小さな谷川の底を移した二枚の青い幻燈です

宮沢賢治 やまなし(1923年発表)の冒頭

宮沢賢治(1896〜1933)の童話「やまなし」と「雪渡り」の中に幻燈と言う言葉が出てきます。
この幻燈ですが、一般的にはマジックランタン、現在のスライド映写機みたいな物と考えられます。辞典で調べれば真っ先にこれが出てきます。光源は多分植物油を使ったランプで、ロウソクのように光源が時間とともに動く物ではないと思わます。
19世紀末までは写真でなく、薄い紙かガラス板に画を描いた物を投影すると言うものです。結構イロイロ出来たみたいで、長尺の絵を横に動かしたり、画を重ねたりと様々な効果が出来たようです。

幻燈そのものは飾り灯籠や、回り灯籠のような物を指す時もあります。ですがもう少し穿って考えたほうがよさそうです。

幻燈と言うのはエジソンのキネトスコープ(映画だが覗きからくりと言ったおもむきがある)も当たるだろうしそれこそ写真スライドもそうです。フランスのダゲールの発明したジオラマ(模型と幻燈、そして光の変化で様々な効果を出したもの)などもそうでしょう。実は映画も幻燈と言われた時代があります。

幻燈機そのものは17世紀の文献にあるようです。がもっと古い可能性もあります。スライド写真がちょっと微妙で、1923年にコダックがモノクロスライドフィルムを発表しています。もちろん透明なフィルムは1889年当たりからあり、反転現像でスライドを作れます。映画と同じネガ・ポジ法を使っても出来ました。
所がスライド写真で鑑賞会をやるのは、1950年代のカラーの時代になって流行するので、賢治の時代ならどうかとなります。

ジオラマは日本でも興行的にはあったと思います。だが賢治が見た事があるかどうかとなれば、疑問はある。
エジソンのキネトスコープは1893年に発明、ルミエール兄弟のシネマトスコープは1895年。その2年後に日本に二つともやってきます。映画は1907年に日本でも流行が起き各地で映画館が出来たと言う。盛岡市でも1915年に映画館が出来ています。

雪渡り(1921年発表)から引用します。

『お酒を飲むべからず』大きな字が幕にうつりました。そしてそれが消えて写真がうつりました。一人のお酒に酔った人間のおぢいさんが何かをかしな円い物をつかんでいる景色です。

『わなを軽べつすべからず』と大きな字がうつりそれが消えて絵がうつりました。
雪渡り(1921年発表)

これって写真スライドショーに感じます。私もそう思っていました。これで幻燈といわれているなかでも、賢治の言う幻燈は、映画と写真スライドに集約されます。
困った事に映画の用語では、写真と絵とカットは同じと言うのもあります。実際映画と写真は原理的には同じですし、映画を写真と言う事もあったようです。活動写真と言う言い方もあります。
さてどっちなのでしょうか。

そこで光源を考えたいと思います。まずは燃焼させて光を作る物です。

まずローソクと灯油ランプはほぼない物と考えます。暗すぎるからです。エジソンのキネトスコープもルミエール兄弟のシネマグラフも、光源には電球を使っています。

次にガス灯があります。ガスマントル法が1886年に発明され、かなり明るいガス灯が出来ます。このマントルにセリウムやトリウムを使うためわずかに青緑の光になります。現在でもアウトドアのガスランタンでこの光を見る事が出来ます。ただガスの配管が必要だったのと、1930年代の合成ゴムの発明まで良いホースがなかった事から、移動型の器機は作りにくかったと考えます。現在のような小型ガスボンベも、かなり高価だったのではないのでしょうか。

アセチレンランプ・カーバイトランプと言う物があります。これは炭化カルシウムに水を加えるとアセチレンが発生する事から、水をポタポタとカーバイトに落としてアセチレンガスの発生量を調整、そのアセチレンを燃やして発光させます。アセチレンの燃焼温度は3300度と極めて高く青白い炎です。これを不完全燃焼させて黄色く光らせるのですが、それでもかなり明るい光になります。映画で言うライムライトはこの光の事です。石灰を使っている訳ではありません。カーバイトの反応した残差が消石灰になる事からそう呼ばれたのでしょう。1900年に特許を取っています。

次に電球です。エジソンの1879年の白熱電球の発明から実用的な電球が始まります。初めは寿命40時間だったのですが、1904年にタングステンフィラメントの発明、1910年にタングステン線をコイル状に曲げる事に成功、1913年にタングステンフィラメントとガラスを通して外の電極を結ぶジュメット線が完成、同年ガス入り電球が開発、1914年にフィラメントを切れにくくする方法が開発され白熱電球が完成されました。なおここに書いた発明特許を、全部ゼネラルエレクトロニクスが持っていると言うのも驚きです。
この間に電球は50倍に高寿命化、光変換効率も2.8倍に改善しました。ワット数も大きくなりかなり明るい物になっています。1000ワットの電球も発売されています。また発明当初の電球はかなり赤い光です。それがこの1914年までには今の電球に近い色まで改善します。
蛇足ですがガス入り電球をGEではMAZDA Cランプと呼んでいました。で、日本の東京電気が1925年に内面つや消しの白い電球を作るのですが、これが「マツダ電球」として発売されます。多分GEより良い製品だと言う自負と、それでいながらMAZDA Cにあやかったのでしょうか。

黒鉛アーク灯は一般的ではありません。二本の先端を尖らせた黒鉛棒を向かい合わせて高電圧をかけます。黒鉛棒を近づけると放電が始まり、黒鉛が高温になり4000度まで上がります。実用化は1876年のロシアのポール・ジャブロコフの発明で交流でも発光出来るのが特徴です。この時の発光がとても強く、温度でも解る通り今までの光源の中で一番青白い光です。1878年にロンドンで街灯に使われ同年サッカーのナイトゲームが行われました。
このアーク灯は1901年に水銀灯を生みます。実用化は1927年です。1941年には蛍光灯の発明、1964年にメタルハライドランプの発明と続きますが、賢治は水銀灯を見る事はなかったと思われます。
ネオン管も放電管に入ります。1910年に発明されています。日本では1918年に銀座に登場したのではないのかと言われています。
アーク灯では強力な紫外線を発するのでガラスで覆われていたのが普通です。火花を外に出す事はありません。あと発光効率が高かったので、光の強さの割に熱が少なかったと言えます。欠点は高電圧装置が必要な事と、電気消費が大きい事です。

映画用では1897年に日本にバイタスコープが来た時に、既にアーク灯が使われていたようです。ライムライトも使われています。アーク灯は1933年まで映画では主流でした。
国産の映写機の歴史から見ると、1898年の国産初のミクニ映写機はライムライトだったようです。1914年の国産初の電気駆動映写機ではアーク灯に変わっています。1926年の35ミリ小型映写機では500Wの電球が、27年の16ミリ映写機でも電球が使われているようです。

次にフィルムの話しになります。この時代のフィルムですが硝酸セルロースと言う物質で作られています。1889年から使われていますが、とても燃えやすいと言う欠点を持っています。というか、実は爆弾です。しかしこの当時、薄く加工できて、透明で、柔軟性の高く、平面性・耐湿性の高い物質はそうそうありませんでした。その上、写真乳剤、ゼラチンなのですがそれが薄く簡単に付く物質でなければいけません。当時は合成高分子がなく、表面加工技術もそうそう良い物がなかったので、こんな危険な物質をフィルムに使っていたのです。
先に白黒スライドフィルムが1923年に発表していますが、このフィルムは安全フィルムを歌っています。硝酸セルロースに何らかの安定剤を加えた物と思われます。そしてスライドフィルムと言いましたが、実際は映画用フィルムです。
1950年当たりから酢酸セルロースに置き換わってゆくので、この安全フィルムは過渡期の物と考えられます。
スライド映写がブームになるのは1950年代だと言いました。これにはまずカラーフィルムの登場が上げられます。カラーフィルムからプリントを作るのがとても高価だった時代、リバーサルフィルムを作ってスライド上映した方が安くて皆で楽しめたと言う事です。テレビに移行する隙間ですね。カメラもそれ以前の6センチ幅のフィルムから、カット数が多く稼げる35ミリカメラに移行しました。特にアメリカで流行りました。
ここで気がついてもらいたいのですが、フィルムの材質転換とスライドブームも一致していると言う事です。現実の話しですが、現在のフィルムでもファンの付いていないスライド映写機では、長時間差しっぱなしにすると溶ける可能性があります。一枚写すのに今でも10秒程度でしょうか。あまり長時間は投影出来ないものです。
確かに現在のハロゲン球の発熱はとても大きい物です。また150W以上の光量があります。これでは硝酸セルロースベースではどうなるのでしょうか。あっという間に燃えるでしょう。
当時のスライド映写機というのがどういった物かはよくわかりません。しかし電球のワット数はそれなりにあったと思いますし、今のような小型ファンが付いているとは思えません。そうすると光路長を長くして放熱していたと考えられます。またフィルムではなくネガからガラス乾板に焼き付けてスライドにした物もあったようです。そうするとサイズが一回り大きな物になったと考えられます。人工着色も可能だったのではないのかと思いますが、実物を見た事がないしネットでも報告はないようです。戦前の乾板でスライドショーをやったと言う記事も見つけましたが、どうも本文がないので解りません。ただ乾板はかなり薄いガラスで、材質にも寄りますが急加熱には弱いです。
もしかすると戦前の幻燈機について、書籍になっているようですが詳細は不明です。

なぜ映画フィルムが燃えやすくても大丈夫だったかと言えば、早いスピードでフィルムが動いているからです。その間に冷却されます。そして各コマごとにシャッターが動いています。連続して光が当たる事のないシステムになっています。これが燃えにくくしている理由だと思われます。とはいえそれでも火事になったりした訳で、ライムライトから電球やアーク灯に移行したのは自然な事です。

次にスライド映写機の問題なのですが、スライドのコマとコマの間に隙間が出来やすいと言う問題があります。一瞬光が漏れるのです。これを克服した映写機もありますが、この戦前の段階ではどうだったのでしょうか。私の知る限りだと、戦後でも機構的に一こまごとにスライドのはいっていないのが映し出されてしまう機種もありました。一枚ごとに真っ白な壁が写ってしまう訳です。ましてやフェードインやアウトの為には電球の光量を変える為にスライダックが必要で、手間になってしまいます。フェードインやアウトを自動化した物は1980年代になるまで出ていなかったとおもいます。

さて長々と書きましたが、結論です。賢治の言う幻燈とは映画の事ではないのでしょうか。まず光源があります。アーク灯か電球を使うのが映画です。スライドは電球だけだと思われます。明治時代の幻燈機にはランプを使った物があるようですが、これは昔からある画を映し出す幻燈ではないのかと思われます。「やまなし」の青い幻燈は、アーク灯やライムライトの光の質を言っているように思います。もちろん水中から見た空の青の意味もあると思います。
蛇足ですがテクニカラー映画の登場まで本格的カラー映画はありませんでした。当然賢治は亡くなっています。擬似的に人工着色したカラー映画もあったようですが、これは上映用フィルムに加工する物で、かなり高価な物であったと思われます。興行成績が望める所でなければ上映出来なかったのではないのでしょうか。

次に当時のフィルムの取り扱いの難しさです。とても燃えやすいのです。このため今と同じスライド投影は考えられませんし、乾板を使ったスライド投影と言うのも考えられますが実例がわかりません。コストも馬鹿になりません。スライド上映の流行は1950まで家庭では無理だったと考えられます。

そして35ミリフィルムを使ったカメラと言うのは、1914年のウル・ライカがありますが実際に販売したのは1925年のライカ I(A)になります。大体これが世界初の35ミリ写真機と言われています。ということで1925年以前には6センチ幅のフィルムのスライド映写機のシステムがあったとなります。こうなると全く解りません。その前に当時のフィルムの取扱の難しさを考えると、現実的ではありません。ただガラス感板を使ったスライドシステムなら考えられますが、一般的だとは思えないのでやはり考えられないです。

調べる限り、映写機を幻燈機といったり映画を活動写真と言ったり、写真と言った例も多くあります。江戸時代に手回し幻燈機というオモチャもありますし、家庭用の映画映写機みたいな物もあります。スライド投影機になるといきなり1950年代の物がいっぱい出てくると言うのも、物証のような気がします。

そしてスライドであったなら、「雪渡り」のような字が現れ暗くなり写真が現れると言う描写は、スライド切り替えの明転、もしくは寸断で出来ない可能性があります。もちろん映写機のレンズを一時的に覆って解決出来ますが、少し手間なのは問題でしょう。

賢治のここでいう幻燈ですが、様々な要素が絡み合っています。家庭用の薄暗い映画映写機かもしれません。手回し式の物かもしれません。薄暗い光でのアニメーションだったり映画を見ていたのかもしれません。江戸時代のからくりだったりしますし、ヨーロッパの幻灯機かもしれません。電球の黄色い光だったかもしれませんし、ライムライトの薄く青緑の光だったかもしれません。この炎の揺らぎだったかもしれません。
それでいて映画館のアーク灯の青白い光で見る映画だったのかもしれません。そのないまぜが賢治の幻燈なのでしょう。
そう纏めてしまってはどうかとも思いますが、「やまなし」の光の具体的な描写を考えれば、映画のような描写に挑戦した作品とも言えそうです。

技術史的に言えば、賢治の幻燈は映画である。そう結論づけます。

ただそれでは面白くありません。それでは賢治の幻燈が映画だとして「雪渡り」の幻燈はどうやって撮影された物でしょうか。

1921年発表ですから、どうも8ミリ映画は考えられないようです。1932年のコダックのダブル8から始まる規格です。賢治は見ていません。そう言った事で16ミリ以上のムービーカメラで撮影されています。
この当時のフィルムの感度は増感現像等工夫してもISO感度で100でしょうか。もう少し低く見積もった方が良いと思います。
それでは今私の部屋では蛍光灯が60ワット光っています。今カメラで計測した所、1/10秒絞りF1.8です。16ミリ映画とし一秒間16フレームとします。シャッタースピードは17分の1秒になります。最低でもF1.4の明るさのレンズが必要です。かなりな高級レンズを使っているようです。私のレンズよりかなり高性能なようです。でも1912年ですとまだそこまで明るいレンズは出ていません。
照明を四倍以上明るくするしかありません。

狐はどのようにしてこの映像を手に入れたのでしょうか。カメラがあってもフィルムがあっても光がなければ撮影が出来ません。どのようにしたのでしょうか。

狐火でしょうか。しかしその明るさはろうそく程度です。今の蛍光灯とは比べ物になりません。

この狐たちはこの撮影のために、狐火をどこまで灯したのでしょうか。蛍光灯240W相当ですから総力戦で行ったと思います。そしてその姿を想像すると凄いです。

清作も太右エ門も酔っぱらって夜中に撮影されています。そこは真昼のように明るかったでしょう。よくそんな所で酔っぱらっていられるなと言うのが、私の感想です。

狐は解ってくれる四朗とかん子を招待しました。だが昔兄たちも招待されたようです。最後に兄たちが迎えにくるのでそれは推察出来ます。でも狐は映画の撮影でも解るように、かなり高度な文化を持っています。それがなぜ人間の子供に認めてもらわなければいけないのでしょうか。ここも面白い所です。

「雪渡り」に関してはもう少しあるかもしれません。ここで筆を置くのが大体の所でしょう。ただ狐の努力が何かと言うのがもの凄く面白いです。
そして話しを更に面白くするために蛇足を付け加えます。実は釜石街道・花巻市から東和町への間で、昔よく狐にだまされたひとがいたようです。それがなんと昭和40年の話しなのです。大体酔っぱらって、川原で素っ裸で発見されると言う物でした。で、狐のせいにされる…。そんなに古い話しではないと付け加えて、終わります。





引用
 
映像関連の照明や投影器具に関しては、ウシオ電気が詳しかった。ウシオ電気は本当に真面目な会社だと思う。以前もこのサイトを参照した事があった。正直な所ウイキではここまでの記述はあり得ない。シネマ光源ではまとまった記述だと思う。

白熱電球は産業技術知資料センターから引用していますです。今後科学技術史に関連する項目では使えそうです。
写真工業の昭和52年写真技術マニュアルも参照しました。あとはウィキですがこのジャンルでは相当苦しい内容の記述でした。
真面目に手元にある文献や記事をさらっても、1930年以前のスライド写真に関しては解りません。
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お昼のニュース

2017/12/02 03:09
お昼のNHKFMのニュースは異様な始まり方だった。いつものアナウンサーのあいさつではなく、突然何処からかの実況中継からはじまった。官房長官の記者会見の様だ。重大ニュースの様だ。どうも天皇陛下の退位の日が決まったらしい。たしかに大ニュースだ。だがそれほどまでのニュースなのだろうか。

私は以前は天皇制について、若干の疑問があった。それは昭和天皇の戦争責任問題であって、それは何処前もつきまとうものだった。だが崩御以降は、それを語るのもはばかられる様になった。あの崩御前に起きたら自粛騒ぎを思い返せば身震いがする。全体主義とはこうゆう事なのかと、その片鱗を見せ付けられた。あのときの同調厚の凄まじさは、いまだかつて無い。

その上で、いまの陛下が素晴らしい方なので文句を言うことが全く無い。第2次世界大戦からの問題も取り組まれて来たと思うし、震災のときのビデオメッセージの率直な激励には感動すらした。

天皇家は存続する方がいいと考えが変わって、もうこうなったら東京なんて政治の中心にいないほうが天皇家の為になるから、京都に遷座されるのが一番だと、極右並の考えを持っている。もうすこし陛下には自由でいて欲しいと願う。その意味で宮内庁批判はあっても、天皇制は支持している。

そういった人から見れば、生前退位は喜ばしい事で、なんで暗いニュースになるのかが全く分からないわけだ。もちろん上皇というポジションになるので、大過去にあった暗いイメージが付きまとう。だが現在の法的根拠では、大昔に出来たことが再現出来るとは思えない。そして今の皇太子も暗愚な方ではない。問題は全く無いのではないのか。

もしかするとなのだが、この件では日本の古層が疼きだすのではないのかと。あの自粛騒ぎもそうだったが、ものすごく古い地層が反応する。
たぶんなのだが、律令制の時代だ。すべてが天皇家の持ち物だった時代がある。全てがだ。国民も全部、山々や海から人から全部、われわれは借りて暮らしていたのだ。それが貴族と仏教の勃興で土地の所有を認められて、そこからボロボロと律令制が壊れて行く。

だがどこまで私有が認められるのかと言うのは、最後には天皇家が許可しなければいけない。完璧な私有ではない。武家社会になっても天皇家が認めないと、結果認めるのだが、その領土保全は出来ないわけだった。江戸時代でも官位を幕府が完璧に差配できた訳ではない。天皇家が認流だけだ。この点を尊皇攘夷運動は突いた訳だ。

それでは江戸時代の藩ではどうだったかといえば、元豪族のパッチワークのような農地があって、それが大勢に吸収されて行く中で、名主とかそういった階級になるのだが、藩はその名主を不祥事があればとりつぶす事が可能なのだ。それは幕府の臣下としての藩主の命令というだけではない。その土地の藩主は、天皇が認めた存在でもあるのだ。

商人が元気だったのは動産だけを扱っていたから。

明治になってようやっと不動産の私有ができたわけだが、このときに江戸時代の曖昧な概念だった農村の共有地とか、名主名義に登記されたりしていまでも問題が残っている。だが、完璧に法整備が出来たのは、いやまだ問題はいっぱいありそうだが、戦後なのだろう。

もしかするとなのだが、われわれはまだ長く続いた律令制の中にいるのでは無いのだろうか。この私有地と言う財産は、天皇がかわると取り上げられる可能性がある、そういった危惧が何処かにある可能性はある。

明治憲法も、他の法整備で制限ができていたから本当は問題が無かったはずなのだが、不動産の私有権はどこか曖昧だったのかも知れない。第2次世界大戦中の都市での土地疎開も、つまり強制的に家屋をこわして道路を拡げて空襲での火災延焼防止の為に防火帯として道路を広げるものだったが、あの時代の同調圧があったにしても、問題なく進められたのは、何か借り暮らし感覚があったかもしれない。

この借り暮らしと言う考えは、変かも知れないが、日本の仏教的考えにも近い。だが奈良時代から江戸時代まで形式的には日本は天皇家のものだった。それを掘り起こした江戸時代の国学があって明治維新があって、天皇主権の憲法が出来て、それでもなお何か、体制が変わると奪われる可能性がある財産に敏感になるのでは無いのか。

その体制の変化で一番大きいのは、天皇の崩御だ。だがそれを不動産の相続と考えると、上皇と天皇という体制はえらく不安定に感じる。

我々は借りぐらしなのだ。そう考えればなぜ天皇制でここまで大騒ぎになるのかがよく理解出来る。国家と天皇が分離した制度があるのに、天皇の財産もとても制限されているのに、どこかで全部天皇の物というのが、どこかで残っている。

真面目なところ、ほんとうに陛下を敬愛していれば、このニュースがこんな変な形で出てくることは無かっただろう。それは日本の通奏低音が起こした事だったのだろう。
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うししのリサイタルに行ってきたよ

2017/12/02 03:09
2年前のベアレンビールのオクトーヴァーフェストでものすごくうまいアマチュアのボーカルとギターのデュオを聞いた。だが全く感心しないのだ。ものすごくうまいのは分かる。確かにお客さんからも受けている。でも全く面白く無いのだ。このときにこの疑問はなんなのかと言うことで、えらく考えた。考えに考えて、思いついたのが牛渡克之氏の演奏なのだ。岩手大学の准教授。日本でも有数のユーフォニアム奏者でもある。とにかく音がすばらしい。ヤマハの楽器とベッソンの最高級の楽器をもっているが、音量の違いだけだろうか、どちらからもすばらしい音が出て来る、ナゾな人物でもある。

ただ残念ながらユーフォニアムという楽器は、吹奏楽をやっていた人以外にはあまり知られていない金管楽器だ。中低音のとても豊かな音をだす。だが、ソロリサイタルとなると困難な事しかない。楽器としてもあたらしく、1890年頃にできた楽器でクラシックの曲が無い。結果殆ど近・現代の曲しかなく、コンサートでは結構曲に苦労する。そしてクラシックのなにかを編曲して演奏する場合でも、馴染んだ曲なのに違和感だらけになりがちだ。近現代の曲だけではなく奏者には途轍もない音楽性が要求されてしまう。

身近にちょうど良い音楽家がいたもので、彼の指揮する演奏会や、彼が演奏するものを盛岡で可能な限り聴いた。で、今回がたぶん集大成。ソロリサイタルなのだ。

ああ、ようやくあの音に辿り着きました。会場の問題とかイロイロあるんですが、実力を出し切れるちょうど良いホールと言えば、盛岡市民小ホールしかないのですね。
ほんとうに、彼の音をのびのびと聞きたかったのです。浸れたなぁ。やっぱり公会堂会議室はくるしかった。

選曲も良かったな。超絶技巧とかが目立たない曲ばかりで、あの音を堪能出来たのは本当に至福でした。と言っても岩手大学の吹奏楽部の学生いわく、「超絶技巧ではなかったかも知れませんし特殊奏法は無いのですけど、あれって凄まじく難しいですよ。」。まあそれがプロということなのだろう。

かれの初CDの「うしし」がなぜ不評なのかと言うのも今回よくわかった。たしかに過激だった。だがそれ以上にユーフォニアムの音をステレオ装置は再現できない。そう思う。
ユーフォニアムのベルは斜め上を向いている。観客席には反射音しか聴こえていない。もう少し正確にいえば最高域近辺は奏者の近くから出るが、殆どの音は天井からの反射音だ。殆ど音が天から降ってくると言う感覚だ。

それを前からしかだせないスピーカーのシステムではだす事は難しいだろう。そしてだが反射音を録音するのはかなり難しい。芯がない音になるからだ。これはハイレゾであってもそうなる。臨場感の為には芯が必要なのだが、それは相当困難な仕事になっている。未だ嘗てね。

今回聞きながら計算したのだが、この小ホールは天井の高さが10メーターある。つまりただでさえ管がながくて音がでるのが遅い、そう音速の話をしている。遅い楽器が天井に反射してなんぼと言う楽器。天井に届くまで
0.025秒掛かる。だがそれでなんでアンサンブルが成立するのか?楽器が近くに集まっているから、そうかもしれない。楽譜があるから。

でもなぜ合うのか?テクニックとかはある。だがその前に、音楽を成立させて訴えないと、音楽は成立しないと分かっているからだ。

息の合ったとかそういった世界ではなく、前を向かないと音楽にならない。

常に作り上げないといけない。後ろを向いたらアウトな世界。どんなに素晴らしい演奏をしたとしても、明日にはもっと素晴らしい演奏ができなければいけない世界。

音楽と言うのはどういったものかというのを見せつけられたように思う。

音楽家というのは前に進む人なのだ。

PS

マリオスの盛岡市民小ホールは残響が豊かで素晴らしいホールなのだが、なぜかカメラのシャッター音とかお菓子の袋とかコンビニ袋とか、そういった音がやたら目立つホールだ。残響を重視した為にそうなったと思うが、余計な香音がひびく理由がよく分からなかった。
いくつか考えられることはあった。ぶらさがっている照明の躯体の共鳴やらゆらぎやらもあったが、どうしてこんなに香音の反射が大きいのかはよくわからなかった。

どうもシャンデリアが影響している。あの金属製のバブリーな適当なやつがあるようだ。

丁度ユーフォニアムのベルがだいたいシャンデリアに向かわざるをえないんで。はっきりとわかったわけです。

かなりなくせ者です。
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写真は

2017/11/21 23:11
画像貼りつけが確認出来ない。どうやるんだろう。
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はじめまして

2017/11/21 22:44
はじめまして。Mのです。散々OCNブログで書いてきてgooに移籍させられて、さらに決済方法が変更になってめんどくさくなったので、あっちは捨ててしまいましょうか。

勝手が違いすぎて、慣れていませんので、皆様無視して下さいね。
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