いい加減に過ごす

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夜は晴れて日中は曇る、そんな予報が増えたら盛岡の冬の始まり。

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今日はバタバタした。買い物のために方々歩いたためだ。そしてなのだが全部方角が違う。喫茶響のコーヒ豆を買いにゆき、ワークマンにゆき、材木丁よいちにゆくだけなのだが、時間が別々で一本線にならない。

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近いところはまとめられる。喫茶響でお願いしたコーヒー豆を受け取り、米屋で米を買い、スーパーにゆく。それで円環ができるのだが、まず響でうだうだした。そして米屋は私が入った直後に客が増大、普段は暇な店なのだが。玄米からの精米なので時間がかかる。注文して後で取りにくるからと言って他の客に流して、スーパーにゆく。スーパーの荷物を家に置いてから、米屋にゆく。

最短距離はこれで実現できなかったのだが、荷物のことを考えればこれでいいのかな。自転車だし。

そしてワークマンにゆく。バイク用のジャケットを買うのだが、この店の店長夫婦が店の繁盛と反比例にやつれているのが気になる。

ワークマン、大丈夫か。私が見る限り、この夫婦はクレバーなのだが、それでもこなしきれない仕事量になっているぞ。

茶畑の道路の一角で、お茶の木が植えられていた。虫がすごいなぁ。

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トランプさんが、在日米軍駐留経費を4倍に増やせと言っているらしい。これに関しては韓国との5倍増の話もあって、その駆け引きだと思う。だが4倍増というのは、世界的に見ても米軍駐留費としてはありえない金額になる。そしていま現在日本には危機的な状況がない。なのでディールとしては成り立たないはずなのだが、なぜこれをいうのかがわからない。4倍って、アメリカ軍は傭兵部隊になったのだろうか。

譲歩案としては米軍の持つ、日本の制空権の撤廃。まずこれだろう。これでも1、2倍程度のディールだ。沖縄の基地縮小、辺野古基地白紙化で1.5倍だろう。次期戦闘機の日米共同開発にしても全情報開示で1.1倍かなぁ。そしてなのだが日本の核保有と使用権を認めて、日本の本格的空母保有も認めて原子力潜水艦も全部認めたら4倍だな。

ただし4年間だけだがね。金は払おう。装備が揃うまで。あとはディールで行きますか?。中国のブロックチェーンの決済システムに日本が同意しましょうか?

史上最悪なディールなのを彼は知らない。イランの件もそうだが、単純すぎる。

ただ安倍内閣というのは恐ろしく運がいい。この報道で「桜を見る会」から全部動く。

陰謀説で説明はしやすいのだが、もうこの世の中は運命に従っているだけなのかと思う。なんだろうね、この予定調和は。

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日本音楽コンクールがやばい。今年はさらにやばい。全部門恐ろしいレベルの人しかいない。やばさはピアノから始まったのだが、声楽から器楽まで全部恐ろしいレベルになった。ピアノとバイオリンと、そして声楽は、特に声楽はやばい。多分世界に行ける。

問題なのは、彼らが凄まじすぎても彼らが稼ぐ土壌がないということだ。ひどく残念だ。


最近時事ネタを書いていません

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15日は月は出ないだろうと思っていたら、真夜中に冴え冴えしく出た。
そして明日曇りの予報なのだが、どうなるんだろう。

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今日は10時にはどうかなぁという感じだったのだが、11時にはもうダメだなとなって仕事を諦めて、ゆぴあすに泳ぎにゆく。ただし、2時半までに帰らないと確実に雨に当たる、そう天気予報で出ているし、私もそう思う。目標1時半、2時までには帰る。とすれば1時間だけ泳ぐことになる。この前首が痛くて泳げなかったリベンジもあるので、ハードに泳ぐことになるだろう。

最近の天気予報は凄まじく当たるのだが、誰もそう思っていない。大昔に外れっぱなしの時代があったのと、ゲリラ豪雨とか最近の台風とかの被害をピンポイントで当てているわけではないからだ。あとみんなヤフーニュースやウェザーニュースの無料閲覧だけで見ている。アレは当たらない。なぜなら無料だから。有料契約したら多分かなりの精度で予測してくれる。ただし大都市圏だけだろう。ではなぜ私が当たると言っているかといえば、気象庁のデーターは地方に強い。全国一律のサービスを目指しているからデーターの質は揃っている。だからあとはこちらの読み込み方だけなのだ。特にレーダーナウキャスト&高精度レーダーナウキャスト&降水短時間予報のデーターを読み込む。その上で高頻度気象衛星画像の雲頂強調と水蒸気分布データーを読み込んだ上で、あの降水確率を自分も住んでいるエリアに当てはめると大体の精度で天気を読むことができる。そんなことは気象庁のプロがやるべきことなのではないのか?そう思うのは仕方がない。だが気象庁は大雑把な予報しか提供しないというのが原則だ。あそこまでデーターが並んでいれば、慣れれば自分の住んでいるエリアくらいの天気はわかるようになる。その上で気象庁の提供する高精度レーダーナウキャスト&降水短時間予報データーの精度が上がっている。

さて今日の場合は、北松園のゆぴあすにゆくということだ。あそこは私の住むエリアの山になる。なのでこの場合雨が早く来る傾向にある。なのでできれば1時間予想より早く帰らなければいけないわけだ。それでも多少雨に当たるのは覚悟しなければいけない。実際行きは上り坂だけど、強風で後ろを押されて早めについた。だが風に飛ばされた雨粒が当たることもあった。

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ゆぴあすでは最初若い子とコースを共有した。彼に合わせるためにえらく大変だった。その後も手抜きしようにも初めのガンガンで、かなり真面目に泳いだ。そしてなのだが、その後にコースを共有したお年寄りが面白かった。クロールより平泳ぎが早い。で、これはあるあるだ。それよりもイカ泳ぎの方が早いのだ。これは滅多にない。75歳というから多分、川で水泳を覚えたのだろう。

頑張りすぎて、帰りがちょっと遅くなった。パラパラ来るのは覚悟していたが、途中買い物をしたりしているうちに小雨になってしまった。びしょ濡れにならない前に帰り着いたのが2時。だいたいの予測は当たっていた。

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3時過ぎに雨脚が強くなったが、これも予測の範囲だった。

最近時事ネタを書かない理由だが、予測できるようになってきたのだ。驚きがない。狙っているところがわかりつつあるからだ。日本のように右左の区別がつきにくい国ですら、政治はポピュリズムに走る。ではなぜポピュリズムが有効かといえば、不平不満が溜まっているからだ。ではなぜ不平不満が溜まっているかといえば、民主化を促すはずのSNSがその役目を果たしている。人のキラキラばかりでは私はなんだろうとなる。

日本なんて見ればわかる。資源のない国が努力しなければ滅びる。だがその成功体験ばかりが喧伝されて、それが日本人と言われているが、それではトヨタの営業車で有名なProBoxは昼寝ができるシートで有名だ。サボりが前提な営業車、正しくいえば激しく頑張っている人のための、息抜きの瞬間をサポートする車なのだが、それってどうなの?といつも思っている。

楽して稼ぎやがって、というのがSNSを見た人の感想だろう。不平不満とは、実はそこだろうと思っている。


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日経ビジネスで小田島隆氏が「1万人の口を封じるのは無理」という記事を書いている。中身は安倍内閣の「桜を見る会」についてなのだが、たった一行琴線に触れた言葉があった。

桜が1週間で散るのは、われら日本人が飽きっぽいからだ。」

江戸時代、倹約ばかり言っていると民心が離れるので、桜の季節だけ上野の寛永寺の山で「無礼講」をしても構わないというというところから花見が始まったと言われている。同時代の9割を占めるの農民にとっては、桜の季節は農作業で忙殺される時期で、花見どころではない。休憩の時に「綺麗だなぁ」と眺めるだけだったろう。

そしてなぜ桜が重要だったかといえば、武士道ではなく、一週間しかないということだろう。武士や町民にとってはそれだったら休みが取れるということだ。農民にとっては、ピークの一週間だ。なんでこれを書くかといえば、飽きっぽいだけではなく時間がない時期だからだ。

あと重要なのは、品種を組み合わせると桜は三週間は持つ。関西人以外考えたこともないだろう。だから本当は「花見」という季節ごとのブームがあって、それはソメイヨシノでブワーッと咲いて散る、だから飽きないのだ。あとの桜は全然気にしない。

花見だけが重要で、それは特権階級のものだった。それを再現しているのが「桜を見る会」なのだが、間違いなく規模が膨らんだのは、SNSでもインスタグラムの普及だろうね。

お祭りは延々とは続かない。だからソメイヨシノが選択された。日本の桜が1ヶ月咲き続けるものだったら、確かに誰も特別視はしなかっただろう。

さてせっかく令和なのだから、「桜を見る会」ではなく、「梅を見る会」にしたらどうなのかな。水戸の偕楽園とかでね。セレブらしく全員和歌を読め!

アメリカ人はアメリカンドリームを信仰しているからまだマシなのだが、日本人がこのセレブの華々しさを許すのか、どうせつまずくさという怨念を感じつつ、まあ日本も中国化するんだろうなと書いておく。

今日も雨がちになりました

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三寒四温とはいったもので、雨が降って寒くなり、晴れて暖かくなり、また雨が降ってと続いています。今日も午前中は天気雨でまた北に虹が出ました。そして午後はずっと曇り時々雨で、寒くなりました。

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この時期に台風が発生しています。両者とも迷走台風になっていて、25号は南鳥島近辺でウロウロしています。そのまま消えるんじゃないのかと思いますけどどうなるやら。日本には被害がない、そう思われるかもしれませんが、この辺りで停滞されると小笠原諸島と伊豆7島の南側は被害があるのです。そう、波が高くなって船便が不安定になります。特に青ヶ島のように港が貧弱だと生活物資に事欠くようになってしまうのですね。

被害が明らかにありそうなのがフィリピン。26号が東に停滞しているんですけど多分2日前から漁船は船を出せない状態だと思う。で、延々と停滞されると波もそれなりに大きくなってゆきますんで、そのうち大型船も通れなくなる。そしてなんだけど発生した場所が場所なんで、勢力が弱くならずどんどん大きくなっています。一週間以上停滞されたら超大型台風になる可能性もあります。気圧配置に空きが出たらすかさず北上するでしょうから台湾から沖縄にゆく可能性もあります。そして台湾から石垣等あたりまで、やっぱり波の影響は出ていると思う。

尖閣諸島に人が住めばいいんだという方がいますが、この辺りは考えて話していただきたいものですね。

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尖閣諸島に人が住むというプランだが、右翼のいうやり方はスマートではない。ミッションとしてどう考えればいいのかといえば、「現代人が自然に与える影響の評価」という名目にする。現代人が生活するための最低限の内容を用意して10年以上生活してもらって、自然に変化があるかどうかを観察し続けるというものだ。尖閣諸島は戦後誰も住んでいない。手付かずに近い自然がある。これの変化を見るというものだ。電気は太陽光と風力発電、そして蓄電池にする。燃料はLPガスのみ使用。台風に耐えられる家が必要になる。自然環境に対する負荷を最小にするため開拓も最小限になる。最低限のヘリポートも必要。なので自給自足は最小限になる。ペットの持ち込みは禁止、特に猫は禁止。家畜も禁止。まあ色々考えられる。

だが問題なのは世捨て人を作っていいのかという問題だ。衛星放送とかは見れるけど、やはり足で歩いて集めた観測データーをどうするのか。やっぱりネットは必要だね。発信してこその離島生活だ。不定期な生活物資供給を使ってアマゾンでの買い物もできるようにしたい。そうするとやっぱりアレのためのアレな映像とかも欲しいよね。で、その回線はどうするのかということだ。海底ケーブルか衛星か、そのコストを無視したとして1回線しかないルートだ。複数可能だとしても接続可能なサーバーは簡単に割り出せるはずだ。そうするとそのサーバーが攻撃を受けるのは見えていることだ。そして、尖閣諸島に住む人がエッチな映像を見たくとも、フィルタリングで徹底的に清浄なコンピューティング環境をサーバー側が用意しなければいけない。つまり情報操作がある世界に彼は住まないといけない。

映画で人の一生を見るリアリティ番組があって、それを知らないで育った人の話があったが、多分尖閣諸島に住むというのは監視されるのが前提な話かもしれない。

ただコミュニティからの監視ではないというのが、恐ろしいところだが。


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夜は晴れて、明日の午後は雨の予報だ。そうして寒さが募ってゆくのだ。

首が痛い

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昨日から寝違えたのか首が痛い。月をみすぎたのだろうか。

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お昼まではよく晴れていた。今週の仕事は12-24ミリのショートズーム、35ミリ、40ミリ、50ミリ、85ミリの単玉レンズで仕事をしていた。特にスナップでは35-50ミリの3本は謎だろう。APS-Cフォーマットでフルサイズの画角52、60、75ミリに相当するわけで微妙な差になる。その微妙なバックの関係が重要でこの選択なのだ。だがレンズ交換というのは簡単でもそんなに頻繁にやれるものではない。あえて制限をかけて写真を作るというやり方だ。レンズ交換する場合はこういった構図の絵が欲しいと明快に考えてから交換する。逆に交換する時間がない場合はあえてついているレンズでチャレンジする。

真面目にこうやっていると、偶然撮れる写真というのが増える。新しい視点や新しい構図が生まれやすくなる。便利なズームだとどうしても自分の型とかに合わせてしまうので、仕事で写真を量産するときにはいいのだが時間があるときにはこういったやり方の方が面白い。そしてなのだがここまでレンズを持つとそれなりに重いのだが、ショートズームに24-70ミリF2.8を持ち歩くより軽い。そしてカメラがとても軽くなる。

ただ40ミリは流石にちょっと難しかったなぁ。微妙な詰まり方が決まればいいんだけど。


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首が痛いが泳ぎにゆく。最初は痛かったが、なんとかなるかなぁと思ったのだが、1500メートルでやめておく。首が右に回らなくなっていたのが左に曲がらなくなったからだ。
問題なのは、首が痛いというのに気がついたのが昨日。さていつから痛かったのかというのが実はよくわからない。本当は2・3日前から痛かったのかもしれない。脇目も振らず仕事していたからなぁ。写真なんで、これほんと。

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夜から雨になるというが、そのようだ。

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晩御飯はビビンバ素麺にする。夏の後始末をしている。

虹が出る

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11日の月だ。月齢で14.3くらいだろうか。ちょうど雲が切れて綺麗に出たのだが、このあと雨が続いた。

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そして12日は晴れ時々雨という困り者の天気になった。

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そして北に虹が出た。ちょっと珍しい。冬はほとんど雪だから虹が出ることはない。そして夏はお日様が高いところにありすぎて、虹が見えない。この冬至に近い太陽が低い位置で南中する季節でないと、北に虹が出ることはない。だがこの季節は大抵雲の流れが西から東なので、北で雨が降ってこちらが晴れているというのはなかなか起きないのだ。
で、なんで虹の部分かといえば、仕事だったのでどこで仕事をしていたのをわからないようにするため。全体見せられないのは申し訳ない。太陽の移動と雲の移動が一致したのか、40分以上で続けたのも目面しい。

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そして北風が強く吹き、冷たい秋の光の午後になった。

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そして月齢15.3の満月が出た。

やはり雨になる

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10日の月だ。11日には雨になると予報されている。

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真夜中には月が傘を被ってしまっていた。

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一仕事終えて買い物にゆくかどうか、雨が降ってきました。

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小雨なのですが、買い物は諦めて撮影した写真の整理をします。

冬が近付いています。

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久しぶりに黄砂が近づいている。PM2.5の値も高くなった。

人ごとではない

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前回大静脈断裂と、太ももの大動脈瘤が血栓で破裂した知り合いについて書いた。これについて知り合いがまた「70の壁というのがあるんだねぇ」と意味深長なことを話していた。どうゆうことかと言えば、現役時代の無理がたたって70歳までに大病する人が多い、そしてそのまま亡くなる人が多いという話だ。その壁を越えると長生きするものだ。

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私もその壁まであと16年とちょっとだ。そして、9月の仕事で足の指がしびれる故障を起こしたのだが、回復はしたのだが根本的に残っている。初期対応に失敗したかなと思う。多分関節の変形か、それに伴う血管の障害か、もしかすると血栓か。

いずれ加老に伴う何かが起きているのは間違いがない。

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太腿の大動脈瘤で、足を切断寸前になった彼の過激な発言はすごい。足の裏から全部感覚がなくなっても歩けるというのを発見したらしい。義足になったとしても、義足を使いこなす可能性があるというのだ。理論的に可能で、パラリンピックのアスリートでも陸上選手が実証はしている。

彼は認知の問題ではないのかという。長年アスリートとして身体に向き合ってきたので、逆説的な発想が出てきたのだ。身体の限界は制御系の大脳の問題であり、身体の問題は大脳の制御で回復できる、そう言った考えだ。

私の周りにはもっと過激な人がいる。前十字靭帯損傷を片足に抱えながらアルペンスキーで成績を出し、いま両方切っていても歩いている。恐怖と向き合うというのを実践しているとも言えるのだが、前十字靭帯がなくともやれることはある、それを実践している。流石にやめてくれと言っているのだが、彼もまた足がなくなっても大丈夫と考えているのだろう。

身体制御の奥深さなのだ。まあ彼らほどではなくても、骨折したときに最初にアドレナリン反応が出たときにうんこしたくなったのは、真面目に人間は動物だなと思った。軽量化して逃げるための反応だった。だがトイレにゆくためにどうすればいいのか、今から思えば冷静な反応だった。松葉杖に各等するものがない状況でやったのは、骨をつなぐことだった。痛かったけどなんとかなった。あとは壁伝いに歩くことだった。

アドレナリンがダバダバだったからできたんだと思う。

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生きることには執着はない。だがいざ死ぬとなれば執着するのは間違いがない。

父の最期はこれが一緒にあった。だが叔母たちは目を背けたくなるくらいに、彼の死を遠ざけたいと呪術的な手法で足や手をさすっていた。
人の死を利用しようとしていたのだろう。正しい私たちを演出するために。そこまで冷たくいうのは、その後の話もあるのだが、まあいまでも思う。

誰もが死を受け入れていない。死に様に対してどう貢献したのかとかそう言った叔母の対応もあったが、あるべき時に対しての覚悟はどうすればいいのだろうか。まだわからない。

地が出る

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昨日知り合いの奥さんから電話があった。夫が倒れたという。そして抱えていた仕事のキャンセルについて、先方と私が知り合いだというので電話がきたのだ。全く仕事熱心だから、目が覚めてすぐに仕事の辻褄の話かぁ。

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大静脈が裂けたという。最近友人で大腿部の大動脈瘤が血栓でやはり断裂したのがいて、これはまた足のしびれという予兆があったにも関わらず3件病院をたらい回しにされた結果、運ばれた病院で「血栓から次何かが起きている」と叫びまくった。血液造影剤とCTとが急遽され、無事手術は終了。実はこの後再発して、肉離れがどこかにあって吸収されていない血の塊があって、そこからきたのではないのかと、そう言った診断になっている。

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大静脈と聞けば、心臓ですか?どうもそのようだ。先方もパニックに近い。開胸手術になったのかステント術で済んだのか、ぼんやりしてしまう。
と気がついた。この場合はそんな質問ではないんじゃないのか?労いが必要なのではないのか、お大事にとか、とパニックになる。

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そう、私にはそうゆうところがある。骨折したときも、アドレナリンとノルアドレナリンが交互に訪れる反応を観察していたし、父が死んだ時も、心電図の血圧と心拍数を見て、こりゃ死んだなと思ったりした。妙に覚めているのだ。で、学習したのはこう言ったときには、悲しそうな顔をするとか、慌てるとか、そう言った演技が必要だということだ。

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ということでお大事にとかろうじて言えたが、冷たいやつだと思われただろうな。

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とは言いつつ日々はある。プールで泳いで、よいちでビールを飲んで今日は終わった。

言葉の話

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変わった学生がいて、言語に関してやたら知識がある。本来はロシア語専攻なのだが、ラテン語やギリシャ語に興味がある。その上東北の方言にも興味がある。さらにインドのサンスクリット語に興味がるらしい。東北弁はともかく格変化に興味があるようだ。

逆に英語の格変化は、他民族との交流で単純化してしまった結果だという。つまり交流の少ない社会ではめんどくさい言語が出来上がって、交流の多い社会では単純になるという。

それに対して私から、東北弁は自然語彙は多いが近代的な語彙は少ない。そして感情表現をする言葉が豊富だ。だからエリートほど具体的な説明のための言葉が必要になり、標準語に近い発音になってゆく。インドネシアではボキャブラリーは少ないが、具体的な説明のために英語とちゃんぽんになっている。ボキャブラリーが増えることで文法が単純化してゆくという話ではない。

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残されたテキストに問題がある可能性がある。つまり上流階級の言語だ。下流階級の言語はよほどでないと記録されない。記録されても上流階級の言語に翻訳されている可能性はある。格変化というのはものすごく微妙なニュアンスを話すために発達したと思う。それこそ平家物語の上皇と天皇の会話のような、そう言った社会で発達した言語だと考えれば、特別なのだろう。
そう言った会話をしつつ、彼がサンスクリット語の読み書きや発声ができる同年代の人を発見したり、ヒッタイト語の達人を見つけたりするのを聞きながら、悩みではない悩みを感じた。

なぜ言葉は伝わらないのか。彼にはこの疑問がある。

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そしてなのだが、なぜか社会人の数学能力と日本語能力が衰えているという話もある。数学はともかくとして、日本語が衰えているというのは、複雑な社会ではなくなったということがある。そしてなのだが、感情表現だけで会話ができる社会だというのがある。

それが苦手な人たちにとっては、辛い時代になった。

今日は何もないな

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そうゆう1日がある。

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強いて言えば寝坊したことか。だが結果として時間が余って、何ごともなく今日1日が過ごせた。

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明日の朝はパンだなぁ。夜に朝に食べる食材を用意するようにしているのだが、寝坊したからなぁ。

それはそうなんだけどね

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最近最低気温が2度以下になってきた。光熱費がかかる季節になった。

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岩手山も山頂が冠雪していた。下界に雪が降るのももうすぐだろう。

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今年になってから天気が良ければ夕景を載せている。撮影するたびにちょっと微妙な気分になる。実は30年前にはこのくらいの夕焼けは割とあった。その中でベストワンの条件を探していた。で、単純に日本海に雲がない日となった。だが20年前くらいからこういった夕焼けも少なくなり、ベストを探す方法も変わってきた。天気図から気象衛星、そして黄砂情報なども参照するようになった。だが10年前から完全にお手上げだった。そこからPM2.5のデーターも参照し、新しい気象衛星から待機中の水蒸気量や流れまで参照するようになった。

それがだ、あっけらかんとこうして30年前の夕景を撮影できるのだ。どうだ素晴らしいだろ、とは言えないのだ。

この原因に、中国大陸からの黄砂と大気汚染がある。両者とも光を散らすので夕景には問題になるのだ。これには地形的な問題もあって、日本海側や関東平野のように西側が開けている土地だと赤い光だけが届くので、綺麗な夕景になるのだが、西側に山があって本当の日没とタイムラグがある盛岡のような土地だと、大気汚染が大きいと回り込みやすい赤い光まで遮ってしまうのだ。

つまり、東アジアの大気汚染が急激に改善されているという意味になる。もともと東北は大気汚染という言葉がないような土地だが、中国大陸から流れてくる汚染物質とか、中国東北部の砂漠化が原因の黄砂などが東北上空に届いていたと思われる日が多くなったからだ。そこには中国の努力もある。かつて言われたほどの大気汚染の話は聞かなくなり、むしろ韓国のソウルやインドのニューデリーの深刻さが聞こえてきている。

だが一番の原因は、地球温暖化に伴う偏西風の変化だ。

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地球温暖化がまず現れたのは北極だ。北極海の氷が小さくなり開氷面が増えることとシベリア地方のツンドラが溶け始めることで暖められた水の領域ができるようになった。北極は常に寒いので高気圧しかないのだがその周辺に低気圧が発生しやすくなった。北極摺動の変化と言われているやつだ。それがさらに北方の高気圧を押し下げて、極端な寒さを北アメリカやヨーロッパにもたらしている。そしてなのだがその気圧配置が偏西風を捻じ曲げてしまう。偏西風の蛇行と言われているやつだ。これで日本も極端な天候変化を食らってきた。

だが今あるのはもっと違う。今現在台風23号と24号が発生しているように、南の海洋水温が高くなっている。これでサンゴ礁絶滅とか言われているやつだが、水蒸気が発生して大雨が降りやすくなっているのも確かだ。だが以前もそうだったインド洋からの変化がどうも影響しているのではないのか。偏西風はインド洋の水温が高いので発生した水蒸気が北に流れてゆく際にヒマラヤ山脈にぶつかって雨を降らせて、その勢いがヒマラヤ山脈に沿って流れて中国上空から日本までずっと流れてゆく流れだ。ぶつけられた風なのでえらい速度で流れている。これの大蛇行だけでも気象に与える変化は大きいのだが、インド洋の水温が上がりすぎてヒマラヤ山脈を超えてしまっているのだ。このおかげで中国北西部にかけて雨が降るようになった。農耕地帯が増えることになるが、森林回復も急速に進んでいる。そう、急速なのだ。そして黄砂も少なくなって万々歳なのだが、偏西風の流れが全く変わることになったのだ。ある意味分散したとも言える。

とすれば、中国が頑張っているとは言え何処かで同じ矛盾が起きる。それが南アジアで起きている話なのかもしれない。

今見ている夕日は取り戻したかつての姿ではなく、違う世界の表れなのかもしれないのだ。

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ニューズウイークに「気候変動は社会的変換点に突入した」という記事がある。

世界153カ国の1万1000人を超える科学者が「気候の緊急事態」を訴えた。彼らが署名した論文は「気候変動による筆舌に尽くしがたい苦難」を避けるためには「根本的な変化」が必要だと警告している。〜中略〜科学者たちは、子供の数に関する個人レベルの決定が重要だと主張する。2017年の調査では、個人がCO2排出量を削減する最も効果的な方法は、子供の数を世帯ごとに1人減らすこと、という結論が出ている。」

これをありえない提言だと思ってはいけない。経済学者のマルサスの予言もあったが、あれは世界の食糧生産に限界があるから、人口増大には限界があるというものだった。これは緑の革命で打ち破られたが、その後も科学者の間では言われていたことだ。SFの突飛な発想ではない。地球温暖化での破局は、30年前の科学者たちが考えていたより複雑に、ひどい方向に進行している。そしてなのだがアメリカ人の生活をしながら地球環境を維持するためにはアメリカ人の人口しかいない。2億人だね。そう言った論文が15年くらい前にあった。

つまり妥当なことを科学者は言っているのだが、それが受け入れられないというのは彼らがわかって言っていることだ。

偽善的でもある。話したから免罪されているのだ。

少なくとも今できることは、世界の富裕層が慈善という形の富の吐き出し方はやめなければいけない。つまり根源的な資本主義を否定しなければいけない。それは共産主義でもない別な世界なのだが、資本主義下で出来たシステムからの離脱は不可能だろう。

基本的にディストビア的な社会が最も有効になる。つまり「美しき新世界」が確立されないといけない。だがそれが今現在可能だとは思えない。全世界が中国化した世界しかないんだが、それでも人の欲望は限りがない。Ai統治の世界でも、情報の吸い上げ型のアルゴリズムの偏向を誰が制御するのかという問題がある。それをトップエリートが管理する気があるのかという問題はなお深い。Ai暴走はないわけではない。

そして優性主義を否定できるのか。多様性こそが人類の面白さなのに、また元に戻すのか。

人類の歴史を否定することを人類ができるのか、その問題の解決策は思い浮かばない。最も短絡的なのは育児制限だ。だがこの言葉が出た時点で、人類は滅んだのかもしれない。資本主義下では育児制限はタブーだからだ。人口と経済成長が一致してるのは誰もが認めること。

私はアウシュビッツにゆく覚悟を、近い将来しなければならないだろう。最も手っ取り早いのは、独身者に重税をかけて罪を作ることだろう。
次が、所定の年齢に達したら安楽死を求められる社会だろう。

私は二つにあたるので、今から覚悟しています。だがそうなる前に、なんとかしなけりゃいけないんだけど。

どうなるんだろうね

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いつも渡る雫石川の太田橋なのだが、今年は鮭の姿が見えない。とても数が少ないようだ。今年の岩手県の鮭漁は大不振だという。震災の影響は抜けているはずなのだが、海水温が高くておきに止まっているのが原因という。

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アメリカがパリ協定の離脱を正式通告した。
普通は信じたくないよな。自分たちが自分たちの首を絞めているって。その気持ちはわかるが、フロリダが壊滅的被害を受けないとわからないとわからないのだろうか。

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今日も泳いだのだが、アドレナリンが効かないというか、調子を出せなかった。多分何かあると思い、帰りにバファリンと抗アレルギー薬を買う。店員に「同時服用で急激に眠くなることなどあります」と注意された。

仕事しているね。

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イギリス下院は労働党のサー・リンジー・ホイル副議長を議長に選出した。このやり取りは面白い。特に議長就任儀式は、演劇だ。
で、女王陛下の儀仗が隠されていたのはわざとだと思うが、これもまたイギリスなのだろう。

日本の議会を面白くという話はある。でも根が真面目な日本人には合わないのかなぁ。その前に、イギリスは喧嘩の仕方をよくわかっているよ。

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安倍首相と韓国の文在寅大統領とが11分間話し合った。
隣国同士の国交に勝ち負けはないというのをわかってほしい。勝ち負けを言い始めたらそりゃもう…

今日はストラヴィンスキーのエディプス王を聞いていた

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連休最終日は冷凍鶏胸肉を保存用に低温調理したり、時期は遅くなったが、プランターのイチゴを直して黄色のビオラとリネンの花苗を寄せ植えにしたり、ストラヴィンスキーの「オペラオラトリオ・エディプス王」を聞いた。この「エディプス王」はバイエルン放送交響楽団&コリン・ディヴィス指揮のディスクと、今回買ったサイトウキネンオーケストラ&小澤征爾指揮のがある。両者ともイオカステがジェシー・ノーマンで前者が1983年、後者が1992年録音だ。ジェシー・ノーマンは録音レパートリーが狭いところがあるが、こうして年代別に成長が聴き比べられるところが面白い。

だがこの小澤征爾指揮のはどうも変なのだ。小澤征爾は出演者との協調を大事にするところがあって、あんまりゴリゴリしないところがあって、でも何か変なのだ。エディプス役のテナーがわざと音を外したり、演技過剰なのだ。運命に翻弄される英雄という役どころではあるのだが、それにしてもひどい。一体なんでこうなったのか。小澤征爾の指定とは思えない。

そう、サイトウキネンオーケストラならではの演出があったのだろう。デイヴィス版は「オペラオラトリオ」なのだが、日本国内の音楽祭でのサイトウキネンでは「オペラオラトリオ」として演出したのだろう。つまりストラヴィンスキーの新古典主義から一歩踏み出した演出をしたのだ。

そりゃないよ。これはオペラオラトリオであるから音楽の中にドラマが埋め込まれており、それを強調したら緊迫感が逆になくなっちゃう。でもなんでこの演出が可能なんだ?考えて見たら、ソフォクレスの原作からジャン・コクトーの台本から、ストラヴィンスキーの曲もそうできる可能性を含んでいるのだ。特にストラヴィンスキーがそう考えていた節は大きい。

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ソフォクレスはエディプスとアンティゴネーという関連する本を書いている。アンティゴネーはエディプスの後日談だ。この二つをまとめてしまうと、テーバイの王ライオスは遊びに行った国の王子を犯してしまう。その罪でその王から呪いを受ける。国に帰ってから、生まれた子は「父を殺し母を娶る」と信託受ける。だがライオスはよった勢いで妻であるイオカステと子供を設ける。生まれた子は従者に渡して捨てさせる。従者は途中で羊飼いに渡す。殺すに忍びなかったのだ。その羊飼いは隣国のコリントの王に渡す。コリントの王には子供がいなかったからだ。コリントで王子として育ったエディプスは聡明な子に育った。それを妬んだ友人から、実子ではないと言われ悩んで信託を受けるが、「父を殺し母を娶る」という中身だった。実子と疑わないエディプスは国から離れる。とは言っても流石に王子、戦車で出かけます。三叉路でテーバイの王ライオスが、スフィンクス退治のための神託を受けるために、従者とともに急いで戦車を走らせているところに出会ってしまいます。両者喧嘩になってエディプスはライオスを殺します。一人従者が逃げるのですが、それは後で。
スフィンクスの謎解き、「朝に4つ足で、昼に二つ足で、夕方3本足はなんだ」というなぞなぞにあっさりと「人間だ」と答えたエディプス、テーバイで大歓迎を受け、ライオス王の亡くなった後釜になります。それはイオカステとの結婚で認められた。どうもこの辺りよくわからんのだが、神との血族が王家であるのが当時のギリシャで、ライオスもイオカステもその血族になる。そしてイオカステは長女で、摂政を務めていたクレオンは弟になる。イオカステに正統性があるのである、そう考えないといけない。

さてエディプスが王になってから二人の男と二人の女が生まれた。そしてエディプスが王位についてから不作と疫病が続いた。クレーオンを使いに出し信託を受けると「ライオスを殺したものを追放するまで続く」という。預言者テレーシアスに聞くと「それはエディプスだ」という。「クレオンとテレーシアスが私を陥れようとしている」と逆上するエディプスをイオカステが「予言は当たらない。ライオスは三叉路で誰かに殺されたのだ」となだめるのだが、暗い予感に突き動かされたエディプスは、ライオスについていた従者と羊飼いを呼ぶ。そこにコリントから死者がくる。「ポリュボスが亡くなった。コリントの王になってくれ」。父は死んだが母はまだ生きている。信託を信じるエディプスは王位を断るが、使者は本当のことを告げる。そこに従者と羊飼いが現れ全てが明らかになる。イオカステは首を吊り、エディプスは「この世にあることは全て見たくない」と自分の両目をえぐる。

アンティゴネーでは、盲目となったエディプスは二人の娘、アンティゴネーとイスメーネが寄り添っていた。放浪の末アテネのテセウスに庇護され、郊外に住むことが許され、そして神から突然許され地面に消えてしまう。アンティゴネーとイスメーネはテーバイに戻ることになる。だがエディプスが統治していた時からなかの悪かった長男と次男が隣国を巻き込んでの戦争になっていた。そしてこの戦争はこう着状態になって、この問題はこの二人に決着させるべきだと、二つの国が決めてしまう。二人は決闘で相打ちになってしまう。取り決めで埋葬は許されないのをアンティゴネーは、二人の死体に土をかけて死刑を宣告され、牢で自害する。

この悲劇で最大のクライマックスは、最後に預言者テレーシアスがテーバイの街を去るところだ。「血で汚れたこの土地には住めないと神が言った。だから私も去る」。一族として実は後何人かいそうなのだが、一番年長のクレオンが絶望してこの話は終わる。神話ではこの10年後、テーバイは滅亡することになる。

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この神話だが、実は本当にあったかもしれないと思っている。ちょっと人知を超えた何かがあるからだ。もちろんテーバイがなぜ滅びたかと言う宗教的訓話なのかもしれない。そしてなのだが、このソフォクレスの物語は古典最高の悲劇と言われている。

目が曇っているのかもしれない。あまりにも有名すぎるのだ。そしてコルトーが台本を書いた時代にはフロイトもいたし、象徴主義の作家もいた。その流れでこのコルトーの本は書かれている。

この物語を時系列で並べる際に気をつけなければいけないポイントがある。アンティゴネーまでクレオンとテレーシアスは生きているのだ。で、クレオンはイオカステの弟だ。だがライオス亡き後に摂政を務めるほどの年齢ではある。さてどう考えるかだ。

ライオスの年齢は考える必要がない。性的に奔放なこの王はそれなりに年なのだ。老人を殺したとエディプスも話している。この話を最短で結ぶためにはイオカステの年齢が重要だ。そう、クレオンもテレーシアスもこの話の最後まで生きているからだ。だがエディプスがコリントを出て、王の戦車と戦って勝つのだから、少年とは言い難い。なのでギリギリ16歳にしておこう。17歳で結婚、子供が毎年できた。その設定を考えると、イオカステは何歳なのか。イオカステが16歳で結婚して17歳でエディプスを出産したとすれば、34歳。ではエディプスとの子ができて王位継承権で争うようになるまでとなれば一体何歳なのだ?これまた長男が17歳でとやると、アンティゴネーで齟齬が出てしまう。父とともに国に追われたのが最短13歳で、何ができるのか。もうちょっと上だと王位継承権の争いもわかりやすくなる。長男20歳、次男19歳、この前提だとアンティゴネーは18歳。戯曲として整合性が出てくる。

イオカステ54歳、エディプス38歳になる。それじゃあクレオンは何歳なの?テレーシアスは何歳なの?となる。

クレオンはイオカステより若いはずだが、テレーシアスの年齢が気になる。それはアンティゴネーでも生きているからだ。そしてエディプスは白髪の老人になっている。それは何歳なのだろうか。放浪の旅で疲れ果てて白髪ということになるのだが、ちょっと違う。

時系列が成り立ちそうで、成り立たないのがこのコルトーの台本なのだ。

実はエディプスは20年間統治した立派な王なのだ。知力で統治していた王が、それを超える神からの罰で没落する悲劇が「エディプス王」で、人の世界がそれで混乱してテーバイが滅亡する寸前までを描いたのが「アンティゴネー」だ。だが古典すぎて誰もが忘れているのだ。、


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そう、エディプスの話は有名すぎて間を端折ってしまうのだ。そこにはフロイトが提唱したエディプスコンプレックスの用語もあったかもしれない。なんとなく若い英雄の没落悲劇にしてしまうのだ。

コルトーもストラヴィンスキーもこの点で間違っていた。それが小澤征爾のエディプスにつながった。だが小澤征爾には罪はない。そもそもが間違っているのだ。それを増幅しただけだ。コルトーが疫病をペストと書いたのが問題なのかもしれない。実はエディプスが王位についてから推定20年間、テーバイは不作と疫病に悩まされるのだ。ペストのような壊滅的な病ではなく。むしろ20年間そういった不安定を抱えながらテーバイを統治し続けた立派な王だったとも言えるのだ。

英雄であり曲がりなりにも20年近く統治したエディプスの、絶頂期に訪れた悲劇。だが、フロイトもあり、若い人の話にしてしまった。

そしてなのだが、信託ばかり信じた結果、それが悲劇なのだ。理性で立ち向かおうが何をしても、神の気まぐれからは逃れられない、その恐ろしさを語っている話でもある。聡明なエディプスは知らず知らず神から与えられた運命に逆らい、20年間不幸続きではあったが統治し続けるだけの地力もあり胆力もある。だからこそ一気に悲劇と向かうのだ。

神の決定から逃れようとしたことがエディプスで、しかも知力で立ち向かっていた。

そしてなのだが、エディプス以外の重要人物たちはその前史を知っている。かかとにブローチのピンを思いっきり刺された赤子を、イオカステもクレオンも死んだと思っていた。生きているとわかっていた従者も羊飼いも、預言者テレーシアスもこの問題から逃げていた。

誰もエディプスを助けなかったのだ。それは神罰を恐れたというのはあるかもしれない。それはエディプスが多分なのだが知力に奢る傲慢さがあったからだろう。神を恐れない若者がテーバイの危機を救ったかもしれないが、災厄も招いた。だが我慢できなくなったときにこの悲劇がある。

この悲劇で最大なのは、神からも身近な側近たちからも全員に裏切られていたというのを知ることなのだ。母であり妻であるイオカステは、自分を捨てて死んでしまう。エディプスは2度捨てられるのだ。エディプスが目をえぐって取り出すのは、神への犠牲でもあり、神への従順の現れでもある。しかしアンティゴネーでもある通りに、神はエディプスを死期まで許さなかった。

エディプスが自殺しない理由だ。

さてここまで書くとなんとなくわかってもらえるだろうか。最も有名なスフォクレスの戯曲だが、この話はそもそも誤解が多い。スフィンクスの謎解きにエディプスは「それは私だ」という解釈がある。その通りにエディプスの神話はエディプスの人生を追っている。生まれから死ぬまで全部語られているわけだ。実は死なないという伝説もある。ソフォクレスがある意味規定したエディプスの姿だが、同時代人にはわかっていたこともあった。そこが抜け落ちると難しいことになる。。

エディプスの孤独が、この悲劇の普遍性なのだ。神に呪われ、人に裏切られた幼子の悲劇なのだ。それを忘れてはいけない。

文化の日です

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カメラマンという野蛮な人種なので、たまには「文化」ということやらに触れなければいけません。今日は文化の日というので岩手県立美術館が「美術館の日」ということで無料開放しています。特筆されるのは喫茶・渡辺氏が特別展示されているということです。ただ企画展が「絵描き夫婦の70年・紅子と省三」という日本絵画史には出てくるが重要人物となっていない二人です。二人とも盛岡出身で東京美術学校と女子美術学校卒というエリート美術家でもありまして、省三氏は岩手大学の教育学部旧特設美術科教授にもなっています。大変盛岡に縁の深い夫婦で、盛岡では著名な画家です。

だからあんまり興味がなかったんだよねぇ。その興味のなさが、この美術館が一番よく見えない場所から撮影させています。

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思っていたより有意義な展示だった。盛岡にいると深澤夫妻の作品は飽きているわけで、それをまとめて見ることで新たな知見があるというものです。深澤省三氏は男で美術のエリートでもあるわけで、安定したところから作品を作っているところがある。どういうことかといえばものすごくうまいのだが、当時の流行やらなんやらを「敏感」に取り入れるところがあって、ゲオルグ・グロッスがそのまんま出ているとか、「様々な試行錯誤」があって、一貫とした流れは、そにデッサン力や筆致以外には感じられない。童画の方に本質を感じる。そして江子氏の方は一貫している。流行からの影響などもあるが、本当に最初期から全部江子なのだ。これはちょっと驚いた。これは当時の女性の立場があったかもしれない。立場が低いために、逆に一貫性が求められた可能性がある。ルオーかゴーギャンの影響がある。

実は江子氏の古い作品は変色したか退色したかと思う作品が多い。愛された作家ゆえに飾られつづけて変色したりしているのだろうと思っていたが、そもそも彼女は原色を使わない作家だったというのがよくわかった。油絵の具では特にこの傾向が強い。この意味は何を指すのかはわからないが、万事控え目でなければいけない、そう言った意識がなかったとはいえないだろう。

衝撃だったのは省三氏のモンゴル時代の作品だ。ピカピカの水彩画、つまりこれは人目に触れないところに保管されていた。そして靖国神社収蔵の油絵の大作。これも大変保存状態が良い。中身は五族共同のあのスローガンに従った内容だ。この夫婦は従軍画家として満州からモンゴルに渡っていた。現地で美術研究所を立ち上げたりしている。そう、彼は知らなかっただろう。そのあと何が起きたのかだ。

今の内モンゴルが現在の中国共産党の元に収められた。その時に毛沢東は日本軍に協力したモンゴル人を虐殺したのだ。数は200万と言われる。

深澤省三氏は戦後、先輩である盛岡出身の五味清吉氏の作品を排除した。今回年表で師事していた時期があったことを知った。なぜ昭和19年に亡くなった師匠を貶めたのかよくわからなかったが、これでよくわかった。

個人的に五味清吉の作品が好きだというのはある。しかしだ、カズオ・イシグロの「浮世絵の画家」じゃあるまいし。なお県立美術館常設展で五味清吉の作品を見なかったような気がする。

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深澤江子の60年代というタイトルでファッションショーが行われていた。生のピアノとサックスには期待していたのだが、多分なのだが天井が高すぎていつものジャズクラブの天井の音に対応できなかったのだろう。そしてなのだが、過去のファッションを再現する際に一番問題になるのは何か?靴だ。これはもうどうしようもない。生地は似たようなものを探せばいいし、型はそれなりに真似ることができる。だが靴だけは本当に難しい。なぜなら特注するしかないからだ。

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盛岡には横川省三の流れがある。深澤省三の名前も無縁ではない。

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なおこの夫妻は、一回の火事で作品を失ったと言われている。3回あったという話を聞いている。どちらが本当かわからないが、多分3回が正しそうだ。それぞれの時期でそれぞれの関連する作品を焼いたのだろう。記録にある一回は正しく火事だったとしても。

それが日本文化だ。

三連休ですね

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三連休初日は、水を入れ替えたばかりの総合プールに泳ぎにゆきます。いつも通りですね。ちょっと違うのが、どの水着にするかと悩んだこと。滅多に履かないスパッツタイプと、ボクサーブリーフタイプが2種、夏専用のビキニタイプが2種とある。なぜそうなるのかといえば、シチュエーションごとに別れているからだ。時にボクサータイプはプールで使い分けている。

で、このボクサータイプがいわゆる長持ちタイプなのだ。塩素に強くて毎日使うインストラクターでも一年に一枚買えばいいんじゃないのかと思う。それほど長持ちする。今あるのが4年目と2年目だ。いま現在全く問題はない。今回は水を入れ替えた直後のスペシャルデーということでスパッツタイプにしようかと考えていたのだが、スパッツタイプは着替えるのがちょっとめんどくさい。そこまでスペシャルでもない。そしてなのだが滅多に履かない水着は毎回中性洗剤で洗う必要がある。保管上の問題だ。あと私は昔自転車で鍛えた足が太い。なのでスパッツタイプってウオーキング用の下着と同じ効果をもたらす。そう、キックが強くなりすぎる。で、いつものフォームと違うんでどうなのかなと悩むのだ。

結局夏用のビキニにして、家に帰って中性洗剤で洗って干すことになるのだが、何を悩んでいたのかといえば、長持ちタイプの水着に飽きてきたのだ。4年目と2年目だ。4年目のもまだ大丈夫。2年目のやつは総合プール専用で利用頻度が高い。でもまだ十分いける。

そう、トキメキがないのだ。記録は伸びようにもないお年頃だ。泳ぐのは好きなのだが、何かもう一発モチベーションを高くしてくれる何かが必要なのだが、それってあんまりないのだ。

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30年前の水着って簡単に伸びた。年間100日程度泳ぐとだいたい締まりがなくなってくる。そして生地が薄くなってしまう。なので半年に一枚は買わないといけなかった。水着を買うことがモチベーションだったんですね。で、今のは非常によろしい。今でも大会出場レギュレーション認可の競泳用水着は塩素に弱いけど、昔のに比べればかなり良くなった。昔のは使っていなくても劣化した。保管用に中性洗剤で洗うという習慣は、この頃からある。

つまり水着を買うのは滅多にないことになっているのだ。多分これは男女で変わると思う。女性の場合は生地の面積が大きいので劣化が出やすいと思う。伸びが目立ちやすくなる。男性だと、生地が小さいから目立たない。だから余計に長持ちする。

昔お年寄りの水泳クラブに関わっていたことがあって、その時にちょっと話題になったことがあった。私ともう一人が水着は半年に一枚買い換えないといけないよねと言ったら、みんなびっくりした。そう、お年寄りたちは毎日泳いでいても生地が薄くなっても気にしなかったからだ。で、今はものすごく良くなったんだけど、どうも今でも一生ものだと考えている節はある。

今でもたまにいるけど、透けて見える水着を着て平気なおじいちゃんはいる。

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絶滅危惧種のビキニパンツを選んだわけだが、ダサいゆえに頑張んないといけないというモードになったのはよかった。みんなと同じというスパッツタイプではなく、頑張っているように見えないと恥ずかしいと思われがちな水着の効果はあった。

休憩時間は抜かして38分でで2000メーターのノルマは達成。チョロと遊んで終わります。

そう、時間がちょっとなかったんですね。ビキニタイプは着替えの時間がとても短く済みますからね。

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新しい水着が欲しい。選択肢はまた長持ち水着になる。そうすると買わなくて済む。そうするとまたモチベーションがとかそう言った話になる。じゃあ買えばいいかといえば、そろそろパソコンの減価償却年限だしカメラもそうだし、入り用だし、その三千円をジェシー・ノーマンのCD購入に当てているのかという矛盾も含めて、水着が欲しい。

コジェーヴのポストモダン論通りに、中回帰説そのものを体現しております。

秋は深まったが

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秋は深まり、紅葉のシーズンだ。撮影で忙しいはずなのだが、今年の紅葉は気温が高めなせいか、木によってムラが大きく、一斉に紅葉という感じではない。なのでピンポイント的に撮影しているので細々動くだけで慌ただしいだけの撮影になっている。

そして31日は曇り空だったんのでゆぴあすに泳ぎにゆく。

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例の教育熱心な親が子供に水泳を教えている。すでに半年間この親子を見ているのだが、なぜか子供は上手くならない。だから両親とも焦るのはよくわかる。だが違う。

人は泳ぐために出来てはいない。ハイハイから始まってつかまり立ちからよちよちまで、全て陸上で学ぶ。ところが水の中というのはそれが役に立たない。だから学び直しが必要なのだ。呼吸ができないとかつかまるところが無いとか、そういった恐怖を取り除かないといけない。それが幼児水泳教室の、遊びのメソッドだ。で、これが基本中の基本だというのは間違いがない。

そしてなのだが安全だというのを教えないといけない。それは足が立つとかそう言ったことではない。もっと基本なことで、隣にいるということだ。クジラと子クジラが一緒に泳いでいる姿を考えた方がいい。安全を担保するには親か親しい人が隣にいるのが大切だ。だがなまじ泳げる人は子供のスピードについていけない。遅すぎて。だから焦って教えてしまう。水に慣れる前に型を教えても意味がないのに。

今まで実験的に知り合いの子供とかでやってきたのだが、今年大学生にやってみてここまで変わるのかと感心してしまった。私も時々やる。もちろん大学生向けには遊びのメソッドを解説して、注意点などを教えた上でやらせたのだが、タイムが10秒変わるというのはすごかった。

今ではお年寄り向けの水泳教室で使われているメソッドなのだが、水に慣れる難しさがわかる。

いずれ子供は楽しくないと全然伸びない。これだけは保証持って言える。そしてなのだが、大人は子供の時を忘れてしまう。
大体の問題は、ここから始まる。

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ゆぴあすの帰りにワークマンにゆく。この前の偵察から欲しい服を買いにゆくのだ。お客さんがちょっとだけ多く、そしてなのだが大体みんな買ってゆく。さらになのだが、商品説明のために店長が飛び回っている。

そうアイテム数を増やしたせいで、従来の作業着屋さんの業態が変わってしまったのだ。以前の作業着屋はわかっている人が買う、だからサイズの問題やらなんやら間違って買っても誰も文句を言わない。だから店員が少なくて済む。だから裾上げサービスから刺繍入れサービスまで自在にできたのだが、それらサービスは店頭ではかなり難しくなっている。裾上げは残されたサービスになっているがそれも対応が大変そうだ。

問題はアウトドア用品を増やしすぎたことだ。ジャンルでは3部門でバイク、アウトドア、ジョギング等のライトスポーツだ。で、それらに要求される機能が重複する。そしてなのだが、例えばだ、防水と撥水の違いはわかりやすくできるのかだ。実はできないのだ。その上で洗濯50回しても防水性能が落ちない服と、撥水機能付きの服と、どこがどう違うのかわからなくなっている。その上に多機能を追求するあまり、変な商品ができている。

スエットシャツとパンツを買ったのだ。実はスエットの問題は風通しが良すぎることだ。そのため緻密な織りにして風が通りにくくて撥水性までもたせたのがアンダーアーマー。それに倣って作った商品なのだがワークマンお得意技の表面処理と貼り合わせ生地なのだ。何が起きたかといえば、スエットで手洗い指定だと?千五百円の商品でだぞ。使い捨てにもできないし、手洗いするまでの値段でもない。アウターだったらまだわかる。でも今時のコインランドリーの乾燥まで全自動のドラム式洗濯機に対応していてほしい。

そう言ったことを製品の表表示にできないのはわかる。でもそろそろきちんとしないと問題が多発するぞ。

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ということで、今日はワークマン一式だったのですが、暑い。無茶暑い。気温15度だったというのはあるが、立体製法のジーンズの裏付きがむちゃくちゃ暑かった。問題のスエットも、その貼り合わせ生地のゴワゴワ感を抜かせば無茶暑い。素晴らしい。そしてスエットの上は縫製のシワとかを抜かせば素晴らしいデザインだ。意味のない胸のポケットとマイクロファスナーとか、フードなしのパーカのデザインになっているのだが、右側に隠しポケットが入っているとか、大変よくできています。そう、手洗い指定でなければね。

なお立体製法ジーンズの欠点なんですけど、あれって履く時引っかかりやすいんですね。足の指が。すっと通らないので厄介です。フリース裏地はその点滑りやすいんですっときます。ですが、布地が厚くなった分、型を変える必要はあったと思いますね。

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まあみんな悩むよね。価値観って。
大企業だって魔導時代だね。

さてどうなるか

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ブリグリジットが延期になって、12月12日にイギリスで総選挙が行われることになった。
そもそも議会制民主主義なのに、重要決議を国民投票で行なった場合、選挙と国民投票という二つの権威が存在してしまう。イギリス議会は国民投票に権威を置いたわけだが、そもそもの国民投票が僅差だったことと、メイ前首相が行った総選挙で議会が完全に国民投票に従う体制にしようとしたが、完璧に失敗した。そして2度目の国民投票と議会の一致に挑戦するわけだ。

もうブリグリジット前提で動いている中で、保守党が勝利すると思われるが、さてどうなるのか。

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ジェシー・ノーマンが亡くなったのが9月30日、ちょっとずつCDを買い集めているが、アマゾンの価格を見る限り、ようやく上がり始めた。だが勢いはない。最も重要なディスクを三枚集めた廉価版の値段が上がったなかぁ。一時期在庫切れだった。そして中古品がちょっと上がった。
この反応の遅さは、ノーマンが忘れられていたとうことを指していると思う。NHKFMなどでもちょっと取り上げられていたが、改めて彼女の歌をラジオなりで聞く人は少なかっただろう。
あれだけの歌手が簡単に忘れられるというのは寂しい話だが、確実に20世紀最高のメゾソプラノで、他に比類する男性歌手がいなかったから、忘れたかったというのが本当のところではないのだろうか。

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トルコのエルドリアン大統領の、今回のクルドとの戦争はどうなのかという話がニューズウイークにあった。「クルド人を追い出したその後は......思慮も展望もないエルドアンの戦争」だ。

シリア領内に軍を派遣することで、トルコは4つの目標を達成しようとしているように見える。シリアでのクルド人国家の樹立を阻止すること、レジェップ・タイップ・エルドアン大統領の人気を高めること、YPGの解体、そしてシリア難民の再定住だ。」

最初の二つは成功するだろう。だがクルド人の武装勢力は潜伏するだけであって解決にはならない。問題はシリアに進行した軍隊を引き下げ、シリア難民350万人をそこに定住させられるかということだ。アサド政権に350万人を委ねられるかという話だ。そこには反アサドで難民になった人もいるだろうし、当然経済難民もいる。

そして帰りたい土地はシリア北部ではない。インフラも不整備なところでキャンプ生活をしろと言っているようなものだ。それを彼らが受け入れるかとえいば、その条件で受け入れるのは日本人以外いないだろう。

この計画がとてつもなく難しいのは間違いがない。西側の常識で難民保護のためにトルコ軍をおいた場合は深刻な問題になる。

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さて問題なのは、今ある難民問題だがトルコが抱えているシリア難民だけで350万だ。それぞれの国家が民主化して安定したらなくなるかといえばそんなことはない。イギリスのトレーラで亡くなったアジア系の人たちもそうだが、経済難民というのは増え続けている。

だがそれ以上に地球温暖化で海水面が上昇した場合、どの程度の難民が出るのかわからない。そして従来の予測より加速している可能性がある。

そしてなのだが普通は海外からの難民を考えると思う。私が今思うのは国内難民だ。台風19号で問題になったのは、東京都民の中には、交通手段が遮断されると、避難が不可能な人たちがいっぱいいるということだ。そしてなのだが本質的に壊滅的被害があった時の、居住地がない。

実は地方にはマイルドヤンキー論ではないが、親子3代くらいのレベルの緻密な社会がある。そこに一気によそ者が来たらどうなるのかという話だ。以外と重い。日本語が通じるのに、方言の問題ではなく、通じないからね。

単一民族だという幻想はともかくとして、日本の階級社会が明らかになる瞬間に何が起きるのか、楽しみだ。

今日は休みにしました

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今日は天気もイマイチで仕事はバッサリやめて、ワークマンに冬服を見にゆく。昨年の秋から見ているのだが、どうなったのだろうか。最近このジャンルの競争がめちゃくちゃ激しい。もともとおしゃれ作業着のプロのがあって、アウトドアにも使える路線で売り出して成功したワークマン、今じゃホーマックなどのホームセンターもこの路線に参入、競争が激しくなっている。
結果だ、昨年の冬よりアイテム数が1.2倍になっただろうか。さらに楽しくなった。
だがただでさえごちゃつきがちな店内が、冬服の厚さでさらに盛り上がっている。店長も顔色が悪い。
「ついにワークマンもマームートをパクりましたね」恐ろしい質問をする。実はプロのの得意技だったりする。するとこともなげに「うちは本当にノースフェースやコロンビアをパクってますからねぇ。協力工場も実際同じ工場だったりします」。「布地も同等品の不良在庫だったりして」、「マジにユニクロさんが使わなくなった生地とかありますねぇ。ビブラムのソールのパテントを外したものとかもありますし」。
この店長さん、本当に人がいい。値段が安いのには秘密があります。

ただ、確かデザイナーが4人しかいなかったはずなので、このアイテム数はデザイナーを増やしたか協力工場の提案があったかしたのだろう。今回見てバイク用の秋冬物の上下が良さそうだった。


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ブリグリジットも一旦10月31日が回避された。これによって記念50ペンス硬貨1000万枚が宙に浮いた。再溶解されてまた使われるそうだ。なお硬貨の発行には、発行益があるので税金は使われないが、これが続くと発行益がなくなってしまうので、次回はどうなるのだろうか。
問題はハードブリグリジットに備えて「イエローハンマー」キャンペーンを展開していた。これにかかった費用は140億円。これは税金。

タダで済む引っ越しはない。

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この二日間、ガーシュインの「ポギーとベス」のオペラ版のCDを聞いていた。30年前に聞いた演奏と同じなのだが、ものすごく暗い曲に聞こえる。昔はガーシュインの明るさと、リズムの強さだけを聞いていたのが、歌詞の意味がわかり公民権運動以前の黒人の生活を知るようになったというのはある。仕事のある時とない時の差が激しく、あれば重労働、なければ博打。生活の苦しさを信仰に向かうか、薬に走るか。強いものが強く、弱いものは徹底的に弱い、絶望の社会。ポーギーは純粋なのだろうか、そしてベスは蓮っ葉な女ではなく、力に引き寄せられて寄る辺なく漂うだけの女なのだろうか。

だが30年前にはこの物語は過去の話であり、現在では大過去になっていると思っていたのだが、そうではなかった。

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なおちょっと気になって「サマータイム」の2番の翻訳を探したのだが、お上品すぎる。
One of these mornings
You’re going to rise up singing
Then you’ll spread your wings
And you’ll fly to the sky
But till that morning
There’s a’nothing can harm you
With daddy and mamma standing by

いやこれは直訳で読んでいただきたい。真面目にこれほど悲惨な子守唄はないのだ。「ある日の朝/立ち上がって歌うだろう/そして自分の力を試し/空へ飛んで行くだろう」ではない。「お前が死ぬ日まで私たちが守る」なのだが、天国にゆくことを前提に歌う。つまり乳児の死亡率が異常に高かった、そう読めるわけだ。このまま死んでしまった方が天国に行ける、大人の生活の悲惨さが歌われている。
この二つの意味が冒頭と、博打のシーンと、嵐のシーンと、ベスが歌うシーンとで意味合いをかえる。暗いなぁ。

誰だ、サマータイムの曲は3回でてくるというやつは。4回だ。博打のシーンでは赤ん坊が泣くのだ。嵐のシーンで旦那のジェイクの安否で錯乱したクララが歌う。その意味を考えれば、この歌の意味がわかると思う。その上で、ガーシュインの想定したのが、奴隷なので白人の乳母になった母が、実の子と引き離されることを考えたという説があって、それが1番と2番の歌詞の内容の違いになる。だがどちらにしても引き裂かれたような子守唄だろう。

昨日ははしゃぎすぎた

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台風19号の被害といえば、我が家の周りではなぜか近所の家が一軒だけ屋根を飛ばしたくらいだろうか。だがそれ以外にもかなりの倒木があった。いずれ人的被害はなかったものの、結構な数になった。
だが風が原因かといえばそれだけではない。まず老木で高さがかなりになっていた。そこに桂カイガラムシが蔓延した。上体がやられた木は、根も縮小する。そして被害が収まって状態が回復して根が伸び出す頃にこの台風があった。根が弱っていたのに上体が大きくなって風邪ぬた押されやすくなっていた。
管理不足が原因と言えるわけだ。

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昨日はてんこ盛りだったせいか、疲れがはっきり出ていた。眠いが仕事、写真にはいい感じではないですなぁ。

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過激派勢力「イスラム国」(IS)の指導者アブ・バクル・アル・バグダディ氏が、米軍の特殊部隊に追い詰められて自殺した。問題なのは、この発表したトランプさんの暴言。

「むやみやたらと大勢を威圧しようとしたごろつきは、死ぬ直前、すさまじい恐怖とパニックにかられ、おびえまくって、自分に迫ってくる米軍を怖がっていた」「病んだ、狂った男だった。(中略)犬のように死んだ。臆病者のように死んだ」

どうなんでしょうね。死者に鞭打ちすぎじゃあないのかなぁ。下っ端の兵隊のような言葉を最高司令官が公的な場で話すとは。

民主党の強いシカゴで行われた、国際警察署長協会の会合で、「これは国家として恥ずかしいことだ。世界中でシカゴが話題になっている。シカゴに比べればアフガニスタンのほうが安全というのが真実だ」とまた暴言。

選挙対策とはいえ、これはどうなのかな。個人的に日本語訳だけ読んで良かったと思う。英語だともっと恐ろしいニュアンスだったかもしれない。

今日は充実しています

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朝、ヘリの音がうるさい。そう、いわて盛岡シティマラソン2019のスタート地点が近所だ。フルマラソンのスタート5秒前にたどり着いてとった写真。カメラの露出がおかしいですね。

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いろんな人がいますね。なお足にご注目ください。どんどんアマチュア感が出てきます。

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スタートから14分後、最後尾ですね。仮装よりも足にご注目。本当にフルマラソンする気があるのかなぁ。なおこの前にタヌキの仮装の方がいました。スマホを持っているのはいいんですが、自撮り棒付きはどうなんでしょうか。

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この方ですね。でも本当の最後尾はなんかムカついた。カップルが歩いて通ったのだ。まだこのタヌキさんは走っています。立派です。参加することに意義があるわけではない。参加することで呪われることもある。

ということで、いわて盛岡シティマラソン第一回目でした。

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ということで台風でお流れになった博物館祭りのリベンジで、岩手県立博物館に行きます。
先月仕事でみっちり通っていたのに、展示物を見ないで終わったのでそのお礼参りです。

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あらま、のっけからクラシックカーの展示です。この3年動態保存している車のオーナーにお願いしてやっているイベントのようです。

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県立博物館の展示が変わっていてびっくりです。シンプルに美しくなりました。そして見応えも出ています。
「よろい・かぶと・かたなの世界」の企画展示もいいです。特に刀の鍔の展示が素晴らしいです。とても地味な鍔の存在ですが、その華麗な工芸技術に武士の矜持を感じます。
気になったのは、マタギのコーナーで、刻みたばこを入れる袋を帯に止める根付という飾りなのですが、多分犬かなんかの下顎の歯を残したものです。どういったおまじないなんでしょうか。

友人がドイツに日本の道具を紹介したいという話をしていまして、その意味でちょっとした道具類に目がいってしまいました。例えばマタギが弾丸を作るために使った道具とか、脱穀した穀物を分別するための道具とか、ちょっと気になります。この場合前者は銃刀法やらなんやらで、私造の弾丸は禁止になっています。戦前の記録で散弾の殻に火薬と作った散弾を入れる話があります。後者は、実はモーター化されて今でも生き残っています。
視点が変わると、見るものも変わりますね。

クラシックカーの展示では、オーナー達が帰る時間になっていました。パブリカかやべレットを見ると当時の日本人デザイナーがいかに努力したのかが垣間見られて、よかったです。そうそうべレットのデザイナーって誰なのかと関係者に聞いたのですが、誰も知りませんでした。


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さてゆぴあすに泳ぎにゆきます。2000メーター以上は泳いだかな。博物館が意外とよかったので時間を取られてしまいました。

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ラグビーワールドカップでイングランドが勝ってしまった。圧勝だ。そう全日本代表の監督だったエディの力は大きい。
だが負けて欲しかった。ブリグリジットの本拠地のイングランドが、旧植民地に負けるという屈辱をぜひ味わっていただきたかった。その意味でウエールズにも負けていただきたい。そしてブリグリジットの影響はあったよね?と彼らに言わせたい。

日本も人のことは言えた義理はないが、ブリグリジットの件で何年世界を引っ張ったんだ。炎上商法だとすれば見事だが、その中心のイングランドが勝ったとなれば、もうやめて。そうとしか言いようがない。

決勝戦にボリスが来るかなぁ。来るだろうな。でもその時はイングランドの世界への影響力は、霧散した瞬間なのだろうな。

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通称小鹿牧場に立ち寄る。盛岡市の謎の公園だ。冬はそりすべりで賑わうが、後の季節は不思議な空間になる。
そう、ジェシー・ノーマンが亡くなり彼女の歌を探しているのだが、結果マーラーの「大地の歌」を聞きまくっている。そう、ノーマンは素晴らしいが、ほかの歌手のニュアンスとかもう少し考えたい。

考えがまとまる前に、寂しくなってしまった。そこにふさわしい場所というので小鹿牧場に向かった。

理想ではないが小規模な寂寞感は味わえた。

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表現では、弱さを表現するために圧倒的な力が必要だという、矛盾がある。

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あとは徹底的に酒でも浴びよう。